平洲塾123「人の心に木を植えた名古屋市の試み」

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ページ番号1004577  更新日 2023年2月20日

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人の心に木を植えた名古屋市の試み

前回から続けます。

秋の落ち葉はその年の春にこの世に生まれたものです。いってみれば人間の赤ん坊と同じです。親である幹からみればかわいい子どもです。新生児です。それがわずか6か月か7か月生きただけで、そのまま散ってしまいます。散るということは、死ぬということです。
親として木の幹は一体どういう気持ちを持つでしょうか。しかし、幹も枯れ葉もそれを語ることはできません。人間の使う言葉がないからです。平洲先生は、おそらくそういうときの、「親である木の立場に立って、悲しみを木と共有する」という思いをかみしめておられたのではないでしょうか。武田信玄も詩人です。信玄もおそらく人々に、「川を治めるためには、まず山を治めなければならない」といって、"自然の理"に任〈まか〉せた木の育成を勧めました。簡単にいえば、人間が材木として富にかえ得る木も、そうでない雑木も一緒に植えていこう、ということなのです。そしてそれが、「自然の理に従って、さらに新しい木を育てるきっかけになる」という考えだったのでしょう。もっといえば、落葉樹によって山が水分を蓄えるのは、鉄砲水や洪水の原因を山の段階において、まず防いでくれると考えたのではないでしょうか。

平洲先生が、紀尾井坂〈きおいざか〉にある紀州藩邸内の庭を巡りながらも、考えておられたことは単に庭を小さな自然と捉〈とら〉え、そこに庭師たちが心を込めた美しさを味わうだけではなく、木の持つ自然の特性にまで思いをいたし、武田信玄と同じような気をお持ちになったのだと思います。

のちに平洲先生は、紀州藩だけではなく尾張藩でも藩主や城の武士たちに学問を教えます。このころの先生は、「学問は、机の前に座っているだけではだめだ。城下町のいろいろな施設や、自然からも学ぼう」といって、学問を切り上げて尾張藩内のいろいろな風景に接しさせました。藩内を流れる川が氾濫〈はんらん〉したときも、先生は先頭に立って溢〈あふ〉れる水を防ぐ工事を門人たちにさせました。いってみれば先生の学問は、「現実社会に役立たなければだめだ」という考えで、洪水を防ぐモッコ担〈かつ〉ぎや、土を集めて俵〈たわら〉に詰めるような作業までおこなわせたのです。

江戸時代の尾張藩は、その後の名古屋市や愛知県に変わったといっていいでしょう。

これは、ぼくの思い出ですが名古屋市があるとき「デザイン博」というのをおこなったことがあります。そのころのぼくは、すでに勤めていた東京都庁を退職した後ですが、「地方自治体が、博覧会を開くのは珍しいことだ」と思っていました。そんなぼくの心を知ったのか、ある雑誌がこのデザイン博について、主催者である名古屋市の幹部と対談を計画しました。対談の相手は、そのときの市の助役(現在の副市長)だった西尾武喜〈たけよし〉さんです。西尾さんは、助役の前は水道局長でした。出身は、岐阜県の中津川市です。そこから電車で名古屋市役所に通っておられました。ぼくが西尾さんにまず聞いたのは、「地方自治体である名古屋市がなぜこういうイベントをなさるのですか?」と、いうことでした。つまり、「役所がイベントをおこなう意図」を知りたかったのです。西尾さんはにこやかにこう話してくださいました。

  • 名古屋市も、戦争中はアメリカ軍の焼夷弾〈しょういだん〉によって焼けました。地域のかなりの部分が被害を受けました。
  • 戦争が終わって、焼け野原になった名古屋市街をどう復興すればいいか、まず考えました。
  • 時の市長がこう言いました。
    「焼け野原になった名古屋市に潤いを取り戻すのは、なによりも市民の住む家と市民が仕事をするビルの建設から始めなければならない」
  • この方針によって、我々職員(当時)は、懸命に建物を建てました。これがある程度成功しました。
  • 建物が建つと、市長がこう言いました。
    「建物は建ったが、やはりコンクリートだけでは潤いがない。木を植えよう」
  • そこで、今度は市をあげてあらゆる地域に植樹をおこないました。その木が年月がたつにしたがって、大きくなり、今では夏などその木陰で市民が涼しい思いをすることができるようになりました。
  • これを見た市長がさらにこう言いました。「町に木を植えて、市民が安らぎと潤いを得るようになった。今度は市民一人ひとりの胸に木を植えよう」。
    「この、市民一人ひとりの胸に木を植えようというのが今度のデザイン博なのです」

やや飛躍した言い方なので、ぼくにはすぐその意味がわかりませんでした。そこで、「デザイン博と、市民の心に木を植えるというのはどういうつながりがあるのですか?」と、あらためて聞きました。
(つづく)

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