平洲塾113「"嚶鳴広場"がオープンしました」
“嚶鳴広場"がオープンしました
平洲先生の“変わった門人"を書いているうちに、胸を明るくする事件に遭遇しました。大村智先生の“ノーベル生理学・医学賞"の受賞決定です。先生のくらしぶりを伝える報道に「昼は研究、夜は定時制の教師」というのがありました。ぼくは感動しました。先生の働く若者たちへの愛情をひしひしと感じたからです。この記事を読んですぐぼくは平洲先生のことを想起しました。
平洲先生が両国橋で講話したのも、江戸の生活者たちに「自分の話すことが少しでも役に立てばよい」という、“恕の精神"にもとづいていることは、いままでもたびたび書かせていただきました。つまりヒューマニズムによるサービスの心です。流行〈はや〉りの言葉を使えば“おもてなしの心"です。
この“恕の精神"すなわち“おもてなしの心"を、具体化するひろばが名鉄太田川駅前にできました。「東海市芸術劇場」と付帯施設のオープンです。太田川駅前の開発は鈴木淳雄東海市長の夢と情熱の実現のひとつで、すでに日本福祉大学の誘致や多目的ビル(商店街を含む)の建設などが実現しています。東海市の“ヘソ"として、こんごどんどん人が集まり、地域活性化の拠点となることでしょう。
芸術劇場はその“ヘソの中のヘソ"として、その果たす役割と効果には大きな期待がもてます。音楽・演劇・芸能などの上演が、きっと新鮮な風を吹かせるでしょう。いわば、“東海市文化"の風です。東京に住むぼくも大いに楽しみにしています。
この芸術劇場の2階に「嚶鳴広場」が付置されました。いうまでもなく細井平洲先生をより広く知っていただくためのものです。平洲記念館というすでにりっぱな建物がつくられていますが、そのさきがけ、あるいはオリエンテーション的な役割を果たします。
オープンの時(10月4日)には、市・県・国の関係者だけでなく、数か国の外国の友好都市からも代表者がみえました。平洲記念館の名誉館長のほかに、この日「嚶鳴広場顧問」を鈴木市長さんから依頼されたぼくは、オープンのあいさつの中で、「外国の方々も平洲先生のスピリットを大切にして、このひろばを大いに活用してほしい」とお願いしました。
つまり、“グローカリズム"の実践です。東海市(ローカル)から日本各地(ナショナル)、そして外国(グローバル)にも平洲先生のヒューマニズム(なによりも平和な人間愛)をひろめていただきたいのです。ひろばをその情報発信基地にしていただきたいのです。
グローカリズム実現のために、ひろばには平洲先生だけでなく、関連する学者や人物などもかなり古くから選んで、その事績をかんたんにわかりやすく説明しています。
日本史をつくってきた人々とのかかわりで、「平洲先生はなにをしたのか、どういう存在であったのか」を浮きぼりにするためです。
その意味では、まず東海市の市民のみなさんが、お子さんも含めて(子どもコーナーもあります)このひろばを積極的に活用して下さることをお願いいたします。
それにはひろばを「役所の施設」でなく「市民みんなの施設」と考えて下さることが大切です。ぼくがおそれているのは、せっかくお金をかけてつくったひろばが、訪ねる人がすくなく、活用度もひくく、結局は“ネコに小判"になり、やがては廃物になってしまうことです。そうならないための努力を、ぼくたちも一生懸命にするつもりですが、市民のみなさんもどうかお一人おひとりが、「ここはわたしのひろばだ」というきもちで、愛してくださることを心からお願いいたします。
ひろばの一隅には、おはずかしいことなのですが、ぼくのいままでの作品が関係者のご厚意とご努力で、ほぼ展示されています。ぼく自身が上杉鷹山と鷹山を導いた平洲先生にどのようにして辿りついたのか、を示す軌跡です。そしてさらにどこへ行こうとしているのかも。
ノーベル賞の大村先生から平洲先生に話を結びつけるのは、両先生に対しても失礼なことかもしれません。でもぼくはこのごろ、「平洲先生は、360度方位に対し、どんな角度から接しても必ず答えを下さる存在だ」と思うようになりました。
すぐれた仏像や偉人の彫像をみる時、「ぼくだけをみてくれている」という思いにかられることがあります。平洲先生も同じです。接する人がすべて、「先生はわたしだけを大事にしてくれる」と思いこむのではないでしょうか。“嚶鳴広場"では、ぜひそういう思いを満喫して下さい。
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