平洲塾110「尾張の渡来文化カラクリ人形」
尾張の渡来文化カラクリ人形
「正しい歴史認識を」というのは、中国や韓国の政府首脳が日本に求めることですが、日本人からすれば、求める側の目的がよくわかるのでちょっとためらいがあります。ぼくはこの問題を古い時代にさかのぼって考えます。
それは古代の中国や朝鮮からは、内乱のためにほろぼされた国や民族が、亡命者として日本に渡来しました。これらの人びとは学問・宗教・生活技術(農耕だけでなくインフラの技術や文化など)については、そのころの日本人よりはるかにすぐれた先進的なものをもっていました。それを日本で争うことなく、大いに活用してくれました。
愛知県にもその跡がたくさん残っています。とくに初代の尾張藩主徳川義直〈よしなお〉(家康の9男)は中国文化の導入に熱心でした。ぼくはカラクリ人形が大好きで、時間があれば愛知県下のダシに仕掛けられた人形をみにいきます。東海市にももちろんあります。台数が多いのは半田市が有名です。田原市にも豊田市にも犬山市にもあります。
北名古屋市の西春町だかで、天井に仕掛けられた天上の観音さまをみたことがあります。あれもカラクリ人形のひとつでしょう。下から仰ぐと、200人くらいの拝観客の中でひとりひとりが、「観音さまは私だけをごらんになっている」と思いこむのです。ぼくもそうでした。これが宗教心だなと、その時感じたものでした。
義直は名古屋城を"蓬左城〈ほうさじょう〉"と名づけました。"蓬莱宮〈ほうらいきゅう〉の左側にある城"という意味です。蓬莱宮というのは熱田神宮〈あつたじんぐう〉のことです。義直はおそらく自分の治める国を一種の理想郷にしたかったのでしょう。尾張に伝承される"あゆちの国"の実現です。
そのためには生活をゆたかにする先進技術の導入をはかることも、その促進の一助になります。義直は亡命学者の沈げんぴん(むずかしい字なのでカナにします)を重用します。可愛い甥〈おい〉の徳川光圀〈みつくに〉(黄門さま。2代目水戸藩主)には、おなじ亡命学者の朱舜水〈しゅしゅんすい〉を推せんします。光圀は伯父〈おじ〉の言葉に従いました。舜水は学問だけでなくラーメンのつくり方まで教えたといわれます。いまも残るカラクリ人形も中国から伝えられたものです。
つまりぼくたち日本人は、「くらしをゆたかに味わいを深くしてくれる知識や技術」については、なんの先入観も偏見もなく素直にうけいれるのです。これが日本人の美点なのです。日本にくると争いあった外国の人たちも、みんなおだやかになり、平和で安全な国づくりに力を合わせるのです。これに日本の美しい土・水・緑・光(太陽)などの自然が協力します。このことはいまも変わりません。多少のアクシデントはあっても、いまの世界で日本ほど治安のいい国はないでしょう。
つまりいまの世界で日本は"あゆちの国"であり"常世〈とこよ〉の国"なのです。このことにぼくたちはもっと自信と誇りをもつべきでしょう。
平洲先生在世のころは(あるいは江戸時代を通じて)、学者それぞれの唱える説についていわゆるパテントなどなかったと思います。
「その説はオレが先にいったンだ。おまえ盗んだな」とか、「おまえはしらないというが、それは何年何月にオレが唱えた説だ。つまりオレのほうが早いのだ」などとクレームをつけることなどなかったと思います。むしろ他人が同じことをいっているのをしれば、「自分の説が活用されている。うれしいことだ」とよろこぶのです。ですからわるい言葉を使えば江戸時代の学者は"いいとこ取り"の競争(パクリあい)だったと思います。いまはちょっと定説とちがうことをいえばすぐ、「その根拠はどこにある? 文献は何だ?」と目クジラを立てます。歴史は文献だけでつくられるものではありません。生きた人間の生命が綴るものです。文献にのこらない生き生きした諸活動がたくさんあったと思います。
平洲先生と秋山玉山〈ぎょくざん〉の交流はその例です。平洲先生は上杉鷹山の、そして秋山玉山は熊本藩主細川重賢〈しげかた〉の、それぞれ人間形成と藩政改革の指導をおこなった師です。しかしぼくの想像では平洲先生と玉山さんは、いつもたがいに「いま考えていること・やろうとしていること」の案を話しあっていた、と思います。
中には藩としてのひみつ事項もあったでしょう。現代ならふたりとも「地方公務員法」にある「公務員のひみつ漏洩の罪」を犯しているのです。しかしふたりの学者はそんなことは気にしません。
「情報交換によって、それぞれの地域の民がより幸福なくらしを送れれば、それにこしたことはない」と考えるのです。その意味では米沢藩政と熊本藩政には、平洲・玉山という学者の媒介による相互の影響があったと思います。
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