平洲塾106「東海市長さんからの蘭(2)」
東海市長さんからの蘭(2)
前回、近江商人の“三方よし"のことを紹介しましたが、平洲先生の行動も「学問を通じての“三方よし"の実現」にほかならない、とぼくは思います。
鈴木東海市長さんが届けて下さった蘭の花にもぼくはこのことを感じます。つまり、
- 蘭のつくり手には必ず「自分のためだけではなく、だれかさんをよろこばせたい」というきもちがあること。
- それには育てた蘭を、ただ自分の手もとにおくだけでなく、〈積極的にだれかさんにさし出すこと。
ということです。これは以前ご紹介した古代中国の古典「大学」のテーマのひとつである「譲〈じょう〉」の精神です。平洲先生の説くところの基本です。上杉鷹山にたのまれて創設した藩校を「興譲館」と名づけたのも、この志によっています。譲という徳を興す学校(館)という意味でしょうが、ぼくは「譲という徳をまなび育てる教場」と理解しています。そしてさらに「譲」を「ゆずる」というよりも、「さしだす」という積極的な行為だとうけとめています。
さて栃木県のシルバー大学では本題は平洲先生と上杉鷹山の話に帰着させるのですが、そこへの誘い水(落語のまくら)として、「歴史における虚と実」の話をします。すなわち、「歴史上の人物や事件には、必ず虚像と実像がある」ということです。虚像の例としてつぎの3つをあげます。
- 水戸黄門〈みとこうもん〉の漫遊記〈まんゆうき〉
- 大久保彦左衛門〈おおくぼひこざえもん〉の天下の御意見番
- 遠山金四郎〈とおやまきんしろう〉のいれずみ奉行
なぜ、虚像かといえば、
- 水戸黄門、すなわち水戸徳川家2代目の藩主光圀〈みつくに〉は旅行など一度もしたことはない。したくてもできない立場にいた。
- 大久保彦左衛門は千石取りの中級旗本であり、当時の戦国経験者の代弁(その著『三河物語』)はしたが、天下の御意見番などというポストがあったわけではない。
- 遠山金四郎は江戸町奉行だ。現在の東京都知事・警視総監・消防総監・東京地裁の所長のポストに相当する。そんな重い任にある人物がいれずみなどしているわけがない。
ということです。
しかし、ではなぜ虚像が生まれたのでしょうか。これらの虚像は“火のないところに立った煙"なのでしょうか。必ずしもそうではありません。“火ダネ"と“庶民の願望"が虚像をつくりあげたのです。次回は、その点についてご紹介したいと思います。
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