平洲塾101「平洲先生の教えで農業改革を考える(下)」
平洲先生の教えで農業改革を考える(下)
綱領は組合の憲法
前回、「組合員を主人とする」という目標を設定しましたが、それでは主人である組合員が、組合に対し、「あれもやれ、これもやれ」と、無定限に要求を突きつけてきたら、どうすればいいのでしょうか。
「われわれが主人なのだから、召使は黙ってわれわれのいうことに従え」というような組合員はいないと思いますが、理屈としてはそういうことが成り立ちます。ぼくは、自分で「主人と召使」の関係を提起しながらも、この問題に突き当たりました。平洲先生に伺いました。
「これはどうしたらいいでしょうか?」平洲先生は即座に答えをくださいました。「組合には綱領があるはずだよ」
「綱領?」
「そうだ。綱領は組合の憲法だよ」
「ああ」ぼくは思わず唸りました。そうです農業協同組合にはどこにも必ず「綱領」があります。その組合の地域名をかぶせてはいますが、内容は全部おなじです。日本中おなじ考え方で農業協同組合は運営されているのです。平洲先生の、「綱領は組合の憲法だよ」という一言は、ぼくの胸に深く刻みこまれました。というのはぼく自身東京都庁にいたとき、管理職になってからはいっしょに仕事をする仲間たちに常に告げていた言葉があるからです。それは、
- 役所としてやらなければいけない仕事
- 役所としてやったほうがいい仕事
- 役所としてやらないほうがいい仕事
- 役所としてやってはならない仕事
の四つに分けて、「上のふたつはやるべきだが、下のふたつはやらないほうがいい、またやってはならない」と常に語っていたのです。このやらなければならない仕事とやってはならない仕事の区分をぼくは、「それは憲法や、都が定めた条例などの法令にある」といつも話していました。ですから平洲先生が、「組合の綱領が、組合の憲法だよ」というおっしゃり方は、ストンと胸に落ちたのです。これによって「主人と召使」の関係を保ちつつも、主人は「どんなわがままなことでもいいつければ、召使はやらなければならない」という考え方は打ち砕かれます。つまり主人にも、「召使に命じてやってもらうべき仕事と、やらせてはいけない仕事」のけじめをつける必要があるということです。そのけじめをつけるよりどころが「綱領」にあるということでしょう。したがって組合の職員は、組合員という主人に仕えつつも、「なんでもいいなりになる」という存在ではありません。やはり良識をもって仕事をするという、いわば組合全体の利益を考えたコンセンサス(合意)を設ける必要があるのです。そのコンセンサスは、主人にも召使にも適用されます。その根拠が「綱領にある」といっていいでしょう。
しかしこの問題は、両者における「意識改革」が前提になります。意識改革というのは、「そういう良識を自分で生み出せるようなきもちの持ち方」のことです。ぼくは、都庁にいたときに「広報」の仕事を長くやりました。ぼくが、広報のしごとのテキストにしていたのが「PR」という味も素っ気もないつくり方をされた本でした。出したのは確か「電通」だったと思います。
PRの真義
その本では、
- 広報とは単なる宣伝のことではない。
- なんにでも付和雷同するモブ(大衆)を、「自分で情報を集め・分析し・判断し・自分の意見を形成する能力の持ち主すなわち公衆」に変革することである。
と書いてありました。PRのPはパブリック(公衆)をいいます。Rはリゼーションズ(関係)をいいます。したがってPRというのは「公衆関係」という、ちょっとわかりにくい言葉に訳されます。しかしぼくはこの本を読んで、「PRというのは、公衆関係のことであり、それは大衆を公衆に変化させる意識改革のことである」というふうに受けとめました。ですから、PRを正しくおこなうためには「広報だけではなく、広聴もおこなわなければなない」ということになります。広報というのは出力です。広聴というのは入力です。電子工学にある「フィードバックの理論」が適用されます。フィードバックの理論というのは、「出力の一部を入力に変えて、出力そのものを制御する」というものです。この理論は、家庭にある電気冷蔵庫や電気ゴタツなどに利用されます。つまり、冷蔵庫も冷たくなりすぎれば、サーモスタットという自動制御装置が作動して、一旦冷却を止めます。しかし中がまた温まってくれば、装置が作動して冷やしはじめます。電気ゴタツもおなじです。
ぼくは、この理論のことを応用したPRのことを考えながら、ふと平洲先生のことを思い出しました。
「平洲先生が塾や、あるいは両国橋のたもとでやっておられたことは、そのままPR論であり、同時にまたフィードバック装置の理論でもあったのだなぁ」と思い至ったからです。
平洲先生は日本のドラッカー
ぼくは、歴史を書くことで生きていますが、そのためによく外国の経営学書も読みます。ドラッカーの書物も随分読みました。そして一時は、「平洲先生は、江戸時代における日本のドラッカーだな」と、とんでない考え方を持ったことがあります。しかしよく考えてみれば、この発想も決して無鉄砲で的外れでないとこのごろでは思うようになりました。つまり平洲先生が、江戸時代のアカデミズムに乗らずに(あるいは乗せられることなく)ご自分の仕事を貫き通していたのは、あくまでも「実生活に役立つ理論」を重視され、それを解かれていたからでしょう。したがって、平洲先生はほかの学者のようにまとまった本というのはありません。書く場もなく、話されることによってどんどんそれが世間に浸透し、実生活に役立っていたからでしょう。つまり平洲先生の論は、きいた人の生活の中に解けこんでしまっているのです。きいた人のきもちの中に発展的解消を遂げているのです。だから、先生の論はすべて実社会の中に浸透してしまった、そしてそこで大きな肥料になっている、といっていいのではないでしょうか。
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