平洲塾99「常世の国は沖縄か」

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ページ番号1004603  更新日 2023年2月20日

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常世〈とこよ〉の国は沖縄か

記者さんは必ずテープレコーダーを

平洲先生が『嚶鳴館遺草』の中で、上杉鷹山その他の藩主に対し、前に書いたような、「復興の資源は、人と土以外ない」といい切ったのには、平洲先生の、「日本という国土と日本人に対する認識」が、おそらくぼくの感じたもの以上のものを受けとめていたからだと思います。農業新聞の記者に、ぼくはこのことを切々と語りました。記者も最初はちょっとびっくりしたようですが、やがて大きくうなずくようになりました。最近のぼくは、テープレコーダーを持ってこない記者さんをあまり信用しません。自信を持つ記者さんは、ノートにぼくのいうことを書きつけるだけで帰ってしまいますが、ぼくはそんなことはいま不可能だと思っています。とくにせっかちなぼくの話はスピードが速くて、とても筆記では追いつけないはずです。ですから、「これをおいてもよろしいですか?」と、机の上におずおずとテープレコーダーを出される記者さんのほうを信用しています。この日の記者さんはそうでした。途中からメモを取るのをやめて、テープレコーダーだけに頼って、ぼくの話をそのままきいてくれました。いまのぼくにとって、このほうが本当にありがたいのです。筆記するときは、そのほうに気をとられます。しかし前に書いたように、ぼくの速度の速い話を完全にノートに書きとめることなど不可能です。こんなことは、テープレコーダーに任せたほうがよっぽどいいと思います。

徐福〈じょふく〉伝説

日本の国土が、古代からなかばユートピア的な印象を持たれていたことは、たとえば有名な「徐福伝説」にもあります。徐福は、古代の中国人ですが時の権力者秦〈しん〉の始皇帝の命令によって、日本にやってきました。秦の始皇帝が徐福に命じたのは、「東海に不思議な島がある。そこには蓬莱山〈ほうらいざん〉という山があって、その山には不老不死の霊草が生えている。これを採取してこい」ということでした。徐福は勘でそう思ったのか、それとも事前調査をすませてそうしたのかわかりませんが、日本にやってきました。徐福にとって秦の始皇帝がいう「東海の蓬莱山という山のある島は、日本だ」と思いこんでいたのです。日本の各地にこの徐福の足跡が残されています。ぼくがいちばんそれらしいと思っているのは、佐賀県の西九州自動車道(高速道路)脇にある、金立〈きんりゅう〉という町です。佐賀県の吉野ヶ里に近い場所です。金立というところは、徐福が上陸したところで、日本の農業振興にもいろいろ役立っています。とくに夏になって、雨が降らないときは徐福に祈ると、たちまち雨が降ってくるという伝説がありました。金立の町は、山に囲まれていますが、この中に「蓬莱山」と名づけられた山があります。その山の下には博物館があって、"不老不死の植物"と名づけられた木や草がたくさん保護されています。

しかし、この町には「徐福の墓」と銘打ったお墓があります。ということは、徐福もついに"不老不死の薬草"を発見できなかったのでしょう。墓があるということは、死んだということを物語ります。ただ、徐福の場合は死んだのちも、前に書いたように「地域の人びとが旱魃〈かんばつ〉に苦しむと、必ず雨を降らせてくれる」という、伝承が残されました。

徐福の伝説は、この金立の町だけではありません。和歌山県にもあります。その他の県にもあるということを本でも読みました。ですから徐福は精力的に日本の土地を歩きまわったのです。

ただ、ぼくは最近沖縄県にいって、小渕恵三元首相がサミットをおこなったところで講演をしました。控え室に大きな屏風がありました。漢文が書いてあります。その中に、「古来、常世国〈とこよのくに〉といわれた国は、琉球国のことである」と書いてありました。これにはびっくりしました。ただ、日本に返還以来毎年のように沖縄を訪ねているぼくにすれば、沖縄の島々も非常に親しい場所です。とくに海岸の白い砂は、

  • すべてサンゴの砕片である。
  • それは、魚がサンゴをついばんで腹中に入れたものが排泄〈はいせつ〉される。
  • その排泄されたものが波に乗って陸にたどり着く。
  • 沖縄の島々の白い砂は、すべてその魚が排出したサンゴの砕片なのだ。

という説明をきいて、唖然〈あぜん〉としたことがありました。そうだとすれば、いったいこの白い砂浜はどのくらい年月を経てきたのだろうか、と思ったからです。土地の人はぼくの問いに、「そうだね、5億年ぐらいかな」といとも簡単に答えました。これにも呆〈あき〉れました。でもぼくはその話をきいて、「5億年か。はるかな年月だな。そうなると、小さなことでゴチャゴチャと悩んでいるぼくなんか、まったく小さな存在だなあ、ああ、小さい小さい」と、自分を哀れんだことがあるのを思い出しました。

そういう事情ですから、沖縄県で沖縄の一角でみた屏風に書かれた、「常世国は琉球国である」といういい方もわかる気がするのです。そうなると、秦の始皇帝が徐福に話した「東海の島」というのは琉球国のことだったのでしょうか。このへんは、ひとつの課題であってぼくもぼくなりに調べてみるつもりです。ですけれど、せっかく金立の町その他に、「徐福は日本にきたのだ」と伝えられているのに、「常世の国は、琉球国であった」という説が確定してしまうと、これはちょっと寂しいことになります。でもぼくは、たとえ常世の国が琉球国であっても、それでいいなとも思っています。なぜなら、ぼくは沖縄が好きでしかたがないからです。おそらく平洲先生なら、「どっちでもいいじゃないか。そういう理想郷があったことが確認できれば、人間にとってこれほどうれしいことはないはずだよ」とおっしゃるに違いありません。平洲先生は決して、「絶対にこうだよ」と、物事をきめつける方ではないからです。

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