平洲塾81「非常の方法とは"あたりまえのこと"」("非常のとき"という認識のつづき)」

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1004621  更新日 2023年2月20日

印刷大きな文字で印刷

非常の方法とは"あたりまえのこと"

細井平洲先生が『嚶鳴館遺草〈おうめいかんいそう〉』の中で示した、「非常のときには非常の方法が必要です」という"非常の方法"というのは、それではいったいどういうことなのでしょうか。

『嚶鳴館遺草』に書かれた"非常の方法"というのは、

  • 現在の収入状況をしっかり把握して、それに応じた支出計画を立てること。
  • 城の武士や藩民に模範を示すために、殿様自身の生活を改めること。
  • それは、藩全体の収入の中から殿様に渡る収入額を考え、その中で生活計画を立てること。
  • しかし、習慣というものは怖ろしいもので、身近な費用をひとつひとつ倹約するにつけても、かなりの勇気が必要なこと。
  • しかし、費用の倹約は細かいことの積み重ねによるので、ひとつひとつの支出をつぶさに検討し、最小限これで間に合うという額を設定しなければ倹約はできないこと。
  • 問題は、そういう細かい費用の再検討に根気と時間と勇気が必要だということ。
  • そしてそれは、いままでのきもちをガラリと変えなければできないこと。
  • このいままでのきもちをガラリとかえることを"非常の方法"というのです。

"非常の方法"といっても、平洲先生がおっしゃる"非常の方法"は、この際改めて新しい方法を考え出すということではありません。常識で考えれば、「それは当り前のことじゃないか」といわれることです。そのとおりなのです。平洲先生が求めるのは、「当り前のことを実行してください」ということです。ここ何回か紹介している2012年の「国際協同組合年」にかかわりを持つ日本国内の歴史についていえば、「日本の大原幽学〈おおはら・ゆうがく〉が天保年間につくった『先祖株組合』と、二宮金次郎の『報徳仕法〈ほうとく・しほう〉』が、世界で最初の協同組合設立だった」という歴史をもう一度思い出してください。大原幽学が「先祖株組合」をつくったときに、組合員に求めたのは、「道友〈どうゆう〉として、当り前のことを実行してください」ということでした。幽学が当り前のことというのは、

  • 親には孝行を尽くすこと。
  • 夫婦や兄弟は仲良くすること。
  • 地域の年長者の話をよくきくこと。
  • 組合員は、お互いに助け合うこと。
  • 助け合うというのは、よいことをお互いにすすめ、悪いことは互いに戒めるということ。

です。これが大原幽学のいう「道友として守るべきこと」なのです。お読みになるみなさんも、「なんだ、当り前のことじゃないか」とお思いになるに違いありません。ところが平洲先生は、「この当り前のことが、実際にはなかなか実行されていないのだ」とお思いになったのでしょう。だからこそ、「当り前のことを"非常の手段"といわなければ、みんなは正確に理解しない」と感じておられたのです。これはいまでもわれわれ自身が思い当たることが多い指摘です。現在でも平洲先生のいわれる「当り前のこと」を実行するのが、どれだけ難しいことかわたしたちは自分でもよく知っています。おそらく平洲先生は、「当り前のことをずっとつづけてくれば、こんな財政難だという大きな危機が訪れはしなかっただろう」と思われたに違いありません。そのとおりだと思います。当り前のことを当り前のこととして実行してこなかったから、財政難に見舞われたのです。大赤字を出したのです。それは関与する人びとがそれぞれ"心の赤字"を出していたためです。"心の赤字"というのは、当り前のことを当り前として実行してこなかった油断が大きな原因です。それは起こっている小さなことをそれぞれ、その場限りでみすごしたためです。

「こんな小さなことは大したことはない。放っておいても自然に消えるだろう」というような呑気〈のんき〉でズボラなきもちを持ったためです。

二宮金次郎はその「報徳仕法」を実行するうえにおいて、よく「積小為大〈せきしょういだい〉」といいました。意味は、「小さなことを積んで大きなことに至る」ということです。逆にいえば、「大きなことも、小さなことを積み重ねなければ完成しない(成功しない)」ということです。ぼく自身は、二宮金次郎の報徳仕法の底流には、細井平洲先生の『嚶鳴館遺草』の影響がある、とみています。しかしこれは、異論を唱える方もおられるでしょうから、もう少し勉強してから考えをまとめたいと思います。この金次郎の「積小為大」を平洲先生の考えに重ねるならば、「いままで当り前のことという小さなことを甘くみて、それを積み重ねてきたから今日の大事になってきたのだ」ということになるでしょう。そしてこのことは平洲先生が、「当り前のことを当り前のこととして軽くみて、大切にしなかったことは、その人間が当り前のことに慣れてしまって、その持っている質の大切さをみおとしてきたからだ」ということでもあります。平洲先生はしたがって、これを、「人間の意識の問題」としてとらえました。ですから、「そのみすごしてきたことを取り返すためには、いまを非常のときととらえて、思い切った意識改革が必要になる」とおっしゃるのです。だからこそ、当り前のことを当り前のこととして認識するためには、「ここで、いまの時期を非常のときと考え、非常のときに対応するような意識に切り替えなければならない」とおっしゃったのだと思います。ですからふつうなら、「当り前のことを当り前のこととしてもう一度実行しましょう」とおっしゃればいいところを、「いまを非常のときととらえ、その非常のときにはどうすればいいかとお考えなさい」とまったく新しい発想と角度からお示しになったのです。これは非常にドラスティクな表現です。しかし平洲先生にすれば、「頭にガツンと響くようないい方をしなければ、意識改革などは簡単におこなえない」と思われたのでしょう。

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 平洲記念館
〒476-0003 愛知県東海市荒尾町蜂ケ尻67番地
電話番号:052-604-4141
ファクス番号:052-604-4141
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。