平洲塾88「尾張宗春の経済成長策(2)」

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ページ番号1004614  更新日 2023年2月20日

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尾張宗春の経済成長策(2)

それまでの尾張藩は、藩祖の義直〈よしなお〉以来「謹厳〈きんげん〉」を旨〈むね〉として、「節倹〈せっけん〉」を藩是〈はんぜ〉としてきました。宗春〈むねはる〉は一挙にそれを破ったのです。当時江戸の"享保の改革"では、吉宗が江戸町奉行の大岡忠相〈おおおかただすけ〉を活用して、江戸市中から"怪しげな歓楽施設やその地域"を叩き潰し、店も退去させました。それが拡大されて、芝居小屋・遊郭・歓楽施設の多くが店を閉じました。店の主人たちは途方にくれました。これをきいた宗春はすぐ使いを出して、「江戸から追われる歓楽施設は、全部名古屋で引き受ける」と告げさせました。江戸を追われた歓楽施設はドッと名古屋になだれこみました。一時期、「東京がダメなら名古屋があるさ」という歌が流行りましたが、その享保版です。名古屋は突然賑やかになりました。宗春は、「民が日々貧しさに耐えて働くのは、ある種の楽しみがあるからだ。その楽しみをすべて奪うような、吉宗の改革は間違っている」と批判します。宗春の考え方は、「人間は、楽しみがあってこそ生きられるのだ」というものです。ある種の理があるといっていいでしょう。ですから宗春の考えはさらに発展して、「楽しみを得るには金がかかる。それには、公(藩)が率先してその資金を提供すべきだ。つまり、川の上流から下流に大量の水を流すことが必要なのだ」と告げました。ちょっとアベノミクスに似ているかもしれません。あるいは、「それはケインズの経済学だ」という人もいます。宗春は、積極的に自分がゼイタクをし、金を使いました。さらに、藩政の中でも楽しみを主体にした施策を次々とおこないました。それまで禁止されていた、町でのお祭や行事も復活させました。そこへどんどん江戸から芝居小屋や遊郭あるいは歓楽施設などがなだれこんできましたから、いよいよ"楽しみ"の受け皿がたくさんできます。宗春は、町のお祭でお神輿〈みこし〉が出れば、それを名古屋城内に呼びこんだで寄付金を与えたり、みずからも楽しみました。また、藩の方針で禁止されていた清州〈きよす〉の有名な古い池のお祭も復活させます。こういう、「民の楽しみを中心にした経済政策」は、かなり効果を起こしました。もちろんこういう破天荒な宗春の政策に、脇についていた家老たちはハラハラします。御三家が設けられたときに家康はそれぞれの家に「付家老〈つけがろう〉」というのを配置しました。いってみれば、三人の息子に対するご意見番です。尾張徳川家には成瀬という人物が配されました。これらの付家老はそれぞれ「一国一城令」があったにもかかわらず、城をもらっています。成瀬さんは犬山城主です。犬山城の所有権をめぐって、成瀬家の子孫と犬山市長が長い間議論しました。いまは決着がつきましたが、その成瀬さんの祖先です。おそらく家康のきもちを汲んで、(こんなことをしていると、尾張徳川家が潰れる)と考えたのに違いありません。直諫〈ちょっかん〉をします。しかし宗春はききません。宗春の積極的な消費政策の裏には、やはりなんといっても兄が吉宗と争って、将軍の座が得られなかったという遺恨が残っています。

先年亡くなられましたが、元名古屋市長の西尾さんとはぼくは昵懇〈じっこん〉でした。西尾さんが名古屋市の助役(副市長)をやっておられるときに、ちょうど名古屋市が"デザイン博覧会"を開催しました。以来、ぼくは西尾市長にいろいろと教えを受けたり、あるいは名古屋城で地元テレビに共演したこともあります。その西尾さんが、「名古屋市の繁栄の基は、尾張宗春ですよ」と話されたことがあります。尾張宗春は、結果として家老たちの諫言〈かんげん〉にあい、これが徳川幕府の問題となります。吉宗もあきらかに宗春の政策に注目していました。そして、(尾張宗春は、わしの改革に反対ばかりしている)と感じました。そのために、宗春は結局は隠居させられ、失脚します。しかしその事蹟は、いまだに批判だけではなく、かなり高く評価する人もいるのです。

これもひとつの"歴史の輪"なのです。それは、時代は違いますが細井平洲先生が、尾張藩の藩儒として、名古屋城の藩士たちを教育した時期があったからです。決して無縁とはいえません。おそらく平洲先生も、「尾張宗春の積極政策」のことはよく知り、同時にいろいろな考え方をお持ちになったことでしょう。しかしおそらくそれは、宗春の政策を肯定的な受けとめ方ではなく、逆だったかもしません。それは一概にはいえませんが宗春の政策が「都会的」であり、「都市住民を対象にしている」といえるからだろうと思います。この世で農民をいちばん大事にする平洲先生の考えには、やはり異質なものに思えたことでしょう。

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