平洲塾95「平洲先生と高山彦九郎のこと(5)」

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ページ番号1004607  更新日 2023年2月20日

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平洲先生と高山彦九郎のこと(5)

ことしに入ってから毎月のように久留米市(福岡県)によばれています。最初は"からくり儀右衛門"とよばれた、田中久重〈たなか・ひさしげ〉の記念祭での講演です。2回目、3回目は、県にかかわりをもつ黒田官兵衛(如水)について、その経営方法やリーダーシップがテーマでした。

からくり儀右衛門は愛知県にも共通するかかわりがあります。それは儀右衛門が製作した"からくり人形"は、愛知県のいくつかの市のCI(コミュニティ・アイデンティティ)でもあるからです。

東海市・半田市・犬山市・田原市・豊田市などは、お祭りの時に必ずからくり人形が活躍します。ぼくの推測では、初代の尾張藩主・徳川義直(とくがわ・よしなお)の、積極的な中国文化(儒学・ういろう・工芸品など)の導入に、その遠因があったような気がします。元の犬山市長さんはこの方面の研究家で著書もあります。ぼくもからくり人形が大好きなので、なんどか犬山市によばれて話をしました。ですからこの市長さんについては、多面的な活躍の中でぼくにとっては、「からくり人形にくわしい市長さん」というイメージがつよく、またそこに親しみやすさを感ずるのです。

前回まで書いてきた高山彦九郎について、実は久留米市も大きなかかわりをもっています。幕府に危険人物視(将軍より天皇を大切にする考えかた)された彦九郎は、ついに九州にのがれ、久留米の友人宅にやってきました。しかしこのことがすぐしられ、彦九郎は窮地に追いこまれました。友人にめいわくがかかることをおそれたかれは自殺します。寛政5年(1793)6月のことです。辞世は、

朽ちはてし身は土となり墓〈はか〉なくも 心は国を守らんものを

という和歌です。はかないという無常観を"墓なく"とシャレるだけの余裕がありました。せっぱつまっていても、生命の終わりにこういう余裕をもてるのです。この余裕は、ぼくは平洲先生から影響をうけたものだ、と信じて疑いません。

彦九郎は"墓なく"といいましたが、かれの墓はりっぱなものが建てられています。久留米市寺町の遍照院です。ぼくもお詣りしましたが、花が供えられていました。かれをしのぶ人の心づくしなのでしょう。でもそのしのびかたは、

  • 尊王家としての高山彦九郎
  • 日本中の美談をさがし歩いた高山彦九郎

のどっちでしょうか。平洲先生ならどっちでしょうか。ぼくは"美談さがし歩き"のほうだと思います。前回ぼくは、「平洲先生は政治(権力争いとしての)にはあまり関心をもたなかった」と書きました。すこし突っこんだいいかたをすれば、「民をふりまわす政治」は否定し、「民をよろこばせる政治」を歓迎したという意味です。

高山彦九郎が最初平洲先生に接近したのは、「父の仇を討ちたい」ということでした。かれの父は熱い尊王家です。かれの尊王思想は父の影響です。ですから父をころしたのは、その反対の立場に立つ人物でしょう。したがって彦九郎の仇討ちは、単に父をころした殺人犯への復しゅうではありません。思想対思想の対決です。平洲先生がとめたのは、そういう意味もあったのではないでしょうか。

このことは"つねにAかBかをえらぶ"という、日本人の「二者択一」の悪癖をいましめた、ともいえます。平洲先生はそんなことはしません。AもBものみこんでしまいます。そして新しくCという第3の道を示すのです。そのことを可能にする精神を平洲先生は、つねに保っているのです。

この精神状況をぼくは"恒温の思想"あるいは"井戸水の思想"と名づけます。井戸水の温度は冬も夏もそれほどかわりません。ですから夏になまぬるく感ずる水道水にくらべれば冷たく、冬、手を切るような鋭い冷たさを感ずる水道水にくらべれば、とても温かく感じられるのです。

しかしこれは平洲先生の心が、つねに恒温を保っているから、相手のほうがそう感じるのです。ダラケたきもちで接すれば、平洲先生の反応はきびしく、努力に疲れはてた心で接すれば、平洲先生の対応はお湯のように暖かいのです。しかし平洲先生はそのたびに温度をあげたりさげたりはしていません。いつも同じ温度(恒温)なのです。ですからどんな温度をもってブツかっていっても、平洲先生はしずかに応じます。温度だけでなく、角度も同じです。360度方位の、どこから向かっても先生は対応します。

こういう対応は、学問よりもむしろ"人間学"の達人でなければできません。平洲先生は人生の達人でもありました。

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