平洲塾96「キメツケをきらった平洲先生(1)」

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ページ番号1004606  更新日 2023年2月20日

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キメツケをきらった平洲先生(1)

うわさによるキメツケ

日本人の悪いクセに、「なにをやったか」ではなく、「だれがやったか」にこだわるというならわしがあります。ですから、一旦やり手にわるい感じを持ったら、どんなにいいことをしても認めません。つまり「あいつがやるのならろくなことではない。信用できない」というキメツケをおこなうからです。いってみれば「先入観」や「固定観念」といっていいでしょう。それも自分で細かくその人についての情報を集めて下した判断ではなく、他人からきいた"うわさ"によることが多いのです。この"うわさ"によるキメツケは、じつをいえばぼくたちの社会で大きな害になっています。その"うわさ"に必ずしも真実性があるわけではありません。おそらくそのうわさを立てた人も、その人に対する先入観や固定観念を持ってキメツケたのでしょう。したがってそれを真に受けて「あいつは確かにうわさどおりだ」というのは、こんどはまた新しい先入観や固定観念を生んだということになります。そしてこれがどんどん世の中に流れ大きく膨〈ふく〉らんでいきます。いわゆる「風評」の恐ろしさはそういうところにあるのです。つまり発生したときの大きさのまま流れているのではなく、流れるに従いどんどん増加分が増えて、巨大なものになっていきます。場合によってはうわさを立てられた人(事柄)を抹消〈まっしょう〉しかねません。いってみればうわさというのは「その存在を生かしたり殺したりする」という恐ろしさを持っているのです。

前回までに書いてきた高山彦九郎は、ぼくなどの後期高齢者はよく知っている人物です。しかし高山彦九郎にレッテルとして貼られた文字は、

  • 高山彦九郎は変人か奇人である。
  • 高山彦九郎は無学者である。
  • 高山彦九郎は過激な勤王論者である。
  • 高山彦九郎を褒〈ほ〉める連中は、後世無理矢理なこじつけで評価しているのだ。

などというものです。とくに戦後におけるいわゆる思想の民主化、あるいは歴史の民主的評価は、高山彦九郎を対象から追い払ってしまいました。いってみれば、「いま、問題とするには当たらぬ人物だ」ということだったと思います。しかしこれは高山彦九郎の罪ではありません。

高山彦九郎のほんとうの姿

いま戦争中に書かれた資料を読み直していますが、その本でも高山彦九郎は決してここに書かれたような「変心・奇人・無学者」などで片づけられるような人間ではありませんでした。

高山彦九郎は実は大学者なのです。そして人間的には非常に親孝行な人物でした。中国から伝わった儒教の根本は「孝」にあったと思います。孝を広げていけば、結局は属する国とか主人とかにつながるので、すべての発端は孝であり、江戸時代の武士における「忠義」も、考えようによっては「孝の延長線上」にあるといっていいでしょう。

高山彦九郎が敬愛し、その墓を訪ねていった近江聖人の中江藤樹も、思想の根本にあったのは「孝」です。伊予〈いよ〉(愛媛県)の大洲〈おおず〉にあって、「孝」の道を藩士たちに教えていた藤樹は、思い起こせば自分は近江(滋賀県)の琵琶湖畔に、老いたる母を置きっ放しにしていました。

「自分が孝養を尽くさないで、なぜ人に孝を説くことができるのか?」こういう根本的な疑問を持った藤樹は、仕事を捨てて近江に帰りました。藤樹とすれば脱藩です。その罪は重く、追っ手に首を斬られても文句はいえません。そのため律儀な藤樹は、京都にしばらく滞在して追っ手のくるのを待ちました。しかし藩主のはからいで、追っ手はきませんでした。そこで藤樹は琵琶湖畔に戻って、母に孝養を尽くしはじめたのです。そして藤樹は、

  • 孝はまず自分の親に尽くす。
  • そして、その孝を隣家にも及ぼす。
  • さらに、地域社会に及ぼす。
  • 究極的には国に及ぼす。

という説き方をしました。これは孝の拡大方法であって、藤樹の説く孝は必ずしも「親に対するもの」に限られてはいません。極端にいえば、「地域からこの社会全体に及ぼすもの」といっていいでしょう。そうなると単に「親孝行」としてだけ考えてきた孝の概念ももっと広がりを持ちます。早くいえば、孝というのは、「他に対する思いやりや温かいきもち」といえるのではないでしょうか。その意味では、平洲先生もおなじです。若いころ長崎に留学中に、母危篤の報を受けた平洲先生は慌てて平島村(愛知県東海市)に帰ってきました。しかしそのときお母さんはすでに亡くなった後でした。平洲先生は悲しみます。そのため一年あまり寝こんでしまいました。ほとんど食事もとらず、起き上がってなにをする気力もありませんでした。それは平洲先生が持つ「孝の心、すなわち他に対するやさしさと思いやりの心」に発したものです。(つづく)

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