平洲塾83「人間愛はヨコワリ」

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ページ番号1004619  更新日 2023年2月20日

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人間愛はヨコワリ

前回書いた二宮金次郎(尊徳)は、よりよい農業をおこなうためには、「農民が常に土や農作物に対するお世話をしなければならない」といいました。うまい表現だと思います。とくに"おせわ"という言葉がほかの人がいえば当り前のことですが、二宮金次郎がいうと特別な意味を持っているような気がします。二宮金次郎は農民思想家で、農民にあることに徹していましたが、「農業と政治のかかわり」にまったく関心がなかったわけではありません。とくに、「年貢の定め方(税率)」については特段の関心を持っていました。かれがその"報徳仕法〈ほうとくしほう〉"によって、下野国〈しもつけのくに〉桜町(現在の栃木県真岡市)の復興を成功させた話は有名です。しかしかれの復興に関する講義や書いたものの中にもしきりにこの"おせわする"という言葉が出てきます。金次郎は古代中国の思想や人生論などに詳しく、それを、「日本の農民に役立つ話」として、多少のアダプテーション(元の話に対する加工)を加えながら、わかりやすく解いています。この「おせわをする」という言葉の源泉はやはり、「恕〈じょ〉の精神」にあると思います。つまり農民が相手とする土は、決して表現力を持ちません。土が話しかけたり答えたりはしません。いつも無言です。しかし金次郎は、「土も徳を持っている」と考えていました。ですから農民が鍬〈くわ〉を使って土を耕す行為は、「農民が自分のもっている徳(土への愛情)を、鍬を使って伝えることだ」と思っています。農耕作業も金次郎にすれば単なる労働ではなく、「耕す側(農民)の考えを伝える行為だ」ということになるのです。

細井平洲先生は指導した米沢藩主・上杉鷹山に対し、「治者は常に民〈たみ〉の父母のようなきもちを持ってください」と頼みました。民の父母だということは、「年齢に関係なく、常に子どもである民のきもちを汲〈く〉み取って、その苦しみや悲しみを共有し、さらにその苦しみや悲しみがなくなるように努力する」ということです。それが政治です。ですから米沢藩の頂点に立っている政治の責任者・鷹山に対しては、「城の武士だけでなく、藩内にいる住民のすべてに親のようなきもちを持ってください」ということなのです。この「親のきもちになって仕事をする」ということは、そのまま二宮金次郎のいう、「おせわをする」だと思います。おせわをするということは、せわをする側の「相手に対する愛情(徳)」の表現につながります。ですからぼくは、「おせわをするという言葉は、そのまま恕の精神から出ている」と考えるのです。ということは、二宮金次郎の徳も上杉鷹山の徳も根はおなじものであって、すべて、「人間愛」に根ざしていると思います。

しかしこの人間愛も、ひとりひとりの人間がそれぞれ勝手に考えて、てんでバラバラな方向をたどるよりもやはり、「共通する基調音」があって、それによっておこなわれるほうが、はるかに効果が上がります。前に書いた、「修身〈しゅうしん〉・斉家〈せいか〉・治国〈ちこく〉・平天下〈へいてんか〉」といういわば人間のために敷かれたレールのようなものは、それなりの意味を持っています。平洲先生は漢学者ですから、この考え方は常識化されていました。したがって、もし先生がご存命で、二宮金次郎のことを知っておられたら、金次郎がすすめる「報徳仕法」にも、おそらく、「二宮さんはわしとおなじ考えで荒れた農村を復興している」と思われたに違いありません。前に、「平天下すなわち日本国を平和に経営するためには、まずそこの住民である個人が責任ある存在にならなければならない」と書きました。このことをぼくは、「個人が現在いる場所において人間の自治を確立すること」と考えています。したがって個人が人間の自治を確立すれば、それが集まって家族となり家庭を構成すれば次は「家庭の自治の確立」となります。それが集まって当時"国〈くに〉"と呼ばれた、各藩(いまの地方自治体。当時の大名家)の自治を確立することにつながります。これはいってみれば、「地方自治の実現」です。江戸時代は約270の藩(大名家)がありましたから、ひとつひとつの藩がそれぞれの自治を確立すれば、これはそのまま日本国の自治に発展します。そのうえで、「平天下」が実現されるのです。現在では、「修身・斉家・治国・平天下」などといっても、多くの人が、「いまさらそんな古くさいことがなんの役に立つものか」と、冷笑したり批判したりする向きが多いでしょう。しかしぼくは高齢になるに従って、「いまこそこの考え方が日本人にとって大切ではないのか」と思うようなりました。戦争中に、とくに軍部におもねるためにジャーナリズムもこの言葉を使いました。そのために戦後は、「民主国家にはそぐわない」ということで、社会のゴミ箱の中に放りこまれてしまいました。しかし泥を払ってきれいにしてみれば、この考え方こそ大事ではないかという気がしきりにします。おそらく平洲先生も、「童門さん、いいところに気がついたね」とおっしゃるにちがいありません。平洲先生が願ったことも、そして上杉鷹山に教えたことも、すべてこの、「修身・斉家・治国・平天下」という連関する生き方にあったのだと思います。一言でいえば、「国あるいは天下(日本)を再興するにしても、すべて個人の努力がなければ成り立たない」ということなのです。

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