平洲塾85「歴史の輪」

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1004617  更新日 2023年2月20日

印刷大きな文字で印刷

歴史の輪

前号には、北海道開拓使長官の黒田清隆〈くろだ・きよたか〉と、旧幕府海軍の高官榎本武揚〈えのもと・たけあき〉との友情を中心に、「日本の武士道とヨーロッパの騎士道」の関係について書きました。そして黒田が創設した札幌農学校(現在の北海道大学)に、アメリカのマサチューセッツ州立農業大学の学長ウィリアム・S・クラーク博士を招いたいきさつにも触れました。

今月号を書こうとして、新島襄〈にいじま・じょう〉についてちょっと調べていたら大変面白いことを発見しました。新島襄は、日本人ですがむしろアメリカの教会の派遣者として、日本の京都で布教をおこなった人物です。そのために同志社大学もつくりました。いま放送中のNHKの大河ドラマ“八重の桜"の主人公八重は、その新島襄と結婚します。彼女もまた、キリスト教の布教に協力します。

新島襄は、なんとしてもアメリカに渡ってその国情を徹底的に身につけようと密航します。理解者があって、襄の願いはきき届けられます。襄はボストンの北の町アンドーヴァーにある名門私立学校のフィリップス・アカデミーを経て、アマースト大学を卒業します。ここで理学士の学位をもらいました。日本人としては最初にアメリカの大学から与えられた学位だということです。そしてもっと興味あるのは、このアマースト大学で化学の授業をおこなったのが前に書いたウィリアム・S・クラーク博士でした。

日本の常識では、クラーク博士が日本にやってきたのはあくまでも黒田清隆の依頼によるとされていますが、クラーク博士はすでに、「日本人留学生の資質と能力」について経験があったのです。クラーク博士はアマースト大学で教えた新島襄の優秀さに眼をみはりました。また、襄の熱心なキリスト教に対する信仰心に関心しました。ですから、クラーク博士が黒田清隆の誘いに乗ったのは、「日本にいって教える学生たちが、新島襄のように優秀であれば教え甲斐がある」と考えたのです。クラーク博士は日本で新しい農業知識や技術を教えましたが、博士にすれば、「わたしの教え子は、単なる農業技術の練達者になって欲しくない。むしろ、地域における精神の指導者になって欲しい」と願っていました。ですから2期生でクラーク博士の精神をそのまま受け継いでいた、内村鑑三〈うちむら・かんぞう〉や新渡戸稲造〈にとべ・いなぞう〉などはクラーク博士の本当の願いを実践したといえます。

ここに書いたことは、まだ日本の歴史でもあまり表面にあらわれなかったことで、ぼく自身としては、「ぼくなりの新しい発見だ」と自負しています。

そして、この一ヶ月の間にまた新しいことが起こりました。それは、「嚶鳴〈おうめい〉協議会災害時相互応援協定」という約定が関係市町長さんによって締結されたことです。協定の趣旨は、「災害時にはお互いに助け合う」というものですが、参加市町長をあいうえお順に書けば恵那市長(岐阜県)・大野町長(岐阜県)・沖縄市長(沖縄県)・小田原市長(神奈川県)・釜石市長(岩手県)・木曽町長(岐阜県)・多久市長(佐賀県)・竹田市長(大分県)・田原市長(愛知県)・東海市長(愛知県)・日田市長(大分県)・養父(やぶ)市長(兵庫県)です。この協議会の会長さんは鈴木淳雄東海市長さんです。

参加市町はそれぞれ東海市の生んだ細井平洲先生をきっかけに、それぞれが、「わが故郷で他に知ってもらいたい人物」をそれぞれ紹介し合ってきた地方自治体です。そして、“嚶鳴フォーラム"というのを毎年開催してきました。嚶鳴というのはいうまでもなく平洲先生が江戸で開いていた私塾の名です。意味は、「鳥がオーオーと鳴き合うのは、恋を語っているのではない。そのときに起こった社会問題についていろいろ議論しているのだ」という解釈がされています。東海市長さんの熱心な主導によって、つつがなくフォーラムがおこなわれてきましたが、ぼくはあるときからひとつの願いを持ちました。それは、「この会は非常に有意義なので、できれば近い将来にはそれぞれの市民が運営の主軸になって欲しい」ということです。なぜかといえば、ぼくはいま東海市長さんから依頼されて、「細井平洲記念館の名誉館長」をつとめさせていただいておりますが、東海市のほかにもおなじような趣旨のポストを与えられているのです。たとえば、滋賀県からは「近江歴史回廊大学」の学長や、福島県の「いわき市民大学」の学長、あるいは恵那市・上田市(長野県)・佐賀県・島根県などの観光大使などを依頼されています。

ただここでいえることは、近江歴史回廊大学やいわき市民大学などは、当初行政が主導していました。しかし年を重ねるにつれて、しだいに運営の主体が市民の手に移っていきました。近江歴史回廊大学もいわき市民大学も、いまは完全に市民が主体になって運営され、行政はそのお手伝いをするというところまで退きました。ぼくはこういう傾向を非常に頼もしく思っています。ですから“嚶鳴フォーラム"も、いずれは市民が主導権を握って運営される、という日が早くくればいいなと思っているのです。つまり東海市でいえば、「細井平洲先生を、東海市民がどのように受けとめているのか」ということが、ぼくの知りたいいちばん大切なことだからです。

そしてもっといえば「平洲先生から市民はなにを学んでいるのか・そしてそれを市民生活にどう生かしているのか」ということであり、もっといえば、「自分が受けとめた平洲先生の教訓を、今度は他地域に情報としてどのように発信しているのか」ということなのです。そのためにはやはり“嚶鳴フォーラム"が、参加市の市民にとって身近なものであり、できれば「生活の一部」になって欲しいのです。これが参加市長のいわば“C・I(コミュニティー・アイデンティティー。その地域の特性)"まで発展すれば、こんなうれしいことはありません。その意味で、今度の「嚶鳴協議会災害時相互応援協定」の締結は、ぼくにすれば、「嚶鳴フォーラムが直接市民に結びついた」と思えるのです。とくに災害というのは市民にとってもっとも身近な問題であり、関心の高い課題です。それが日本の東北から沖縄に及ぶ広い範囲内の市長が、まずお互いに助け合う協定を結んだということは、実に胸の広がる快いものなのです。平洲先生もそこまでは考えなかったでしょう。これは東海市のみなさんがご存知のように、平洲先生も尾張地方の災害時には、塾で学んでいる学生たちを動員して、庄内川の堤防工事に率先参加されたことはよくご存知のはずです。平洲先生も防災と決して無縁ではなかったのです。

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 平洲記念館
〒476-0003 愛知県東海市荒尾町蜂ケ尻67番地
電話番号:052-604-4141
ファクス番号:052-604-4141
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。