平洲塾80「"非常のとき"という認識」

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ページ番号1004623  更新日 2023年2月20日

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"非常の時"という認識

年が変わってから、すでに何回か地方に講演にいきました。経営者団体や、JA(農業協同組合)です。JAからは、

  • 去年の「国際協同組合年の趣旨は、一年だけで終わるものではなく恒久性があるので、日本における協同組合の歴史や人物を話してください」
    という注文でした。

前号にも書きましたが、せっかく国連が主唱した「国際協同組合年」については、ほとんど政府もマスコミも触れることなく、一年をムダに過ごしました。もったいないことだと思います。前号に書きましたが、ぼくは、

  • 「国際連合が、なぜいま国際協同組合年を唱えたのか、その趣旨を掘り下げて、東日本の大震災を受けた地域の復興の精神的支柱にすべきだ」と考えました。その意味では、講演を申し出てきたJAのいうとおり、「国際協同組合年の趣旨は、一過性のものではない」という主張は正しいと思います。
  • そして、これが一年限りで終わることなく、今後もその趣旨をわたしたちが守るとするならば、前号に書いたように「この趣旨を、とくに東日本の被災地の復興に生かすべきだ」という考えもまた一過性ではありません。
  • その証拠に、ぼくに話をしてくれと申し込んできたJAの考えは、「この国際協同組合年の趣旨は、いつも生きており、同時に守らなければいけないことだ」という考えは正しいものだと考えます。

ぼくは自信を得ました。なにに自信を得たかといえば、前号にも書いたとおり、「細井平洲先生の『嚶鳴館遺草〈おうめいかんいそう〉』の考えは、そのまま被災地の復興に役立て得る。したがって『嚶鳴館遺草』を復興のテキストにすべきだ」という主張も、また胸を張っていいつづけることができると思ったからです。そこで改めて、では『嚶鳴館遺草』のどの部分を、復興の精神的支柱にすればいいかということについて、もう少し詳しく書かせていただきます。原文は東海市の発行した『東海市史(資料編第三巻)』の中から引用しますが、ぼくなりの意訳を含めて、わかりやすく訳させていただきます。もちろん『嚶鳴館遺草』の全文をそのままテキストにすればそれに越したことはありません。しかし、それでは復興のスピードアップを願う現地にとって、勉強のし直しをしなければなりませんし、そういう時間的余裕もそれほどないでしょう。エキスだけを掻〈か〉い摘〈つま〉んで提供します(原文は、平洲記念館のホームページでも公開されていますので、興味のある方はお読み下さい)。引用するほとんどが、『嚶鳴館遺草』のはじめの部分です。たとえば、

「国の財用は土地と民力とのふたつを根本にする以外出るところはありません。土地の大小、民力の多少にしたがって財用の出る高〈たか〉も限られるものですから、財用を用いる方法を、入〈い〉るを量〈はか〉り、出〈いず〉るを制すといいます。"入〈い〉る"とは年内出来る物成(生産物)をいいます。"出〈いず〉"るとはそれを使い出すことをいいます。入る高に応じて使う高を決めるより財用の運営方法はありません」

これが平洲先生の考える定法〈じょうほう〉です。しかし復興や財政再建のときは、ともに危機、あるいは財政難を眼の前にしているのですからこの定法を使っても効果はありません。平洲先生は、「その際は、非常の方法」を用いなければならない、と教えるのです。しかしその非常の方法を用いる場合にも、「無理なやり方で、下を苦しめることでは決してありません」告げます。つまり、

「非常というのは、ふつうの場合と違うことをいうのです」

とおっしゃいます。

「ふつうの場合と違うというのは、たとえば主君は一国臣民の天というべきところにおいでです。尊いことは申すに及びませんが、それでは普段のご生活はどうかといえば、飲食衣服あるいは普段の行動についても、その経費を心配することなく、すべてととのっているでしょう。そして多くの人の奉仕を受けておられます。なにひとつ欠けることもなく、すべて揃〈そろ〉っている状況でお過しです。これは人君〈じんくん=主君のこと〉の特権といっていいでしょう。しかし、ふつうの場合と違ったときには、やはりこのごく当たり前の費用の使い方を、格別に省〈はぶ〉くことが必要です」と申されます。そして平洲先生は、「こんなことは、いままで政権の書からくどいほどお学びになっているはずです」とチクリと一刺しします。逆にいえば、「自分が普段からご講義申し上げたのは、こういう際にご自身でお役に立てるような学び方をお教えしたはずです」とおっしゃっているのでしょう。これも逆にいえば、「普段から学んでいることは、すべて非常の時に役立たせるためです。非常の時に、慌〈あわ〉てて本を読んだり人から話をきいたりしても間に合いません。それはかねがね申し上げてきたとおり、君(主君)は、いつも民の父母であるということをくどく申し上げてきたのは、そのためです」と改めて、「治者と民の関係」を「親子の関係」として説くのです。しかし平洲先生のおっしゃることは、

  • 非常の際に面したからといって、そのときに相応するような考え方や行動方式がすぐ得られるわけではない。
  • そういうことは、普段から心がけて、身につけていなければ間に合わない。

ときびしい考えをお示しになるのです。
(つづく)

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