平洲塾70「蟹江 会長さんをしのぶ」

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ページ番号1004633  更新日 2023年2月20日

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蟹江〈かにえ〉会長さんをしのぶ

蟹江嘉信〈かにえ・よしのぶ〉さんが亡くなった。蟹江さんは、ぼくが名誉館長をつとめさせていただいている「平洲記念館」の大きな支え手だった。細井平洲顕彰会の会長さんだった。
名誉館長とはいっても、ぼくは講演会など以外にはほとんど館にはうかがわないので、実務はすべて立松彰〈たてまつ・あきら〉館長がしきってくれている。立松館長は本来考古学者だが、館運営の実務にも長じていて、実にたのもしい城代家老〈じょうだいがろう〉なのだ。不在館長のぼくの欠落部分をおそらく蟹江会長がいろいろとおせわして下さったにちがいない。いつも謝意でいっぱいだった。
蟹江さんは財界人で、"カゴメ"の総帥〈そうすい〉だった。実業面でも抜群の経営能力を示しつづけてこられた。ぼくが蟹江さんからいろいろ影響をうけたのは、細井平洲先生のことだけではない。別な面でお会いしたことがなんどかある。
ひとつは"法然上人〈ほうねんしょうにん〉"とのかかわりあいだ。"上人800年忌"だかにあたる年くらい前に、蟹江さんから、「増上寺〈ぞうじょうじ〉(東京都港区にある浄土宗の大寺)ちかくで会いたい」というおさそいをうけた。尊敬する大先輩のお話なので指定されたちかくのホテルにいった。増上寺の和尚〈おしょう〉さんが同席された。
話の内容は、「法然上人の伝記を客観的に書いてほしい」ということで、そちらの関係の媒体誌に連載ということだった。ぼくは辞退した。宗教関係にはヨワい。とくに信者の多い宗教人はなにかとむずかしい。それにわが家は浄土真宗だ。親鸞上人〈しんらんしょうにん〉である。そのことを話すと蟹江さんは、「親鸞上人は法然上人のお弟子さんだからいいじゃないですか」といわれる。実をいえば、ぼくは宗教に対しては全開放的態度をとっていて、宗祖についてもそのまなぶべきところは親鸞上人にかぎらず、弘法大師〈こうぼうだいし〉にも道元禅師〈どうげんぜんじ〉にも教えられている。
「法話」ということで鎌倉の建長寺〈けんちょうじ〉や京都の智積院〈ちしゃくいん〉にもなんどかおじゃました。これはぼくの信条である、「自分以外すべて師だ」(『宮本武蔵』を書いた吉川英治さんのことば)を、生きるモットーにしているのでお引きうけした。増上寺の和尚さんから講演もたのまれ、増上寺をはじめ長野の善光寺〈ぜんこうじ〉にもおじゃました。
若いころ、ドーバー海峡の上を長い竹馬の一本をイギリス側に、もう一本をヨーロッパ(フランス)側に立ててまたがっているナポレオンのマンガをみたことがあるが、まさにあのナポレオンだ。"身のほど知らずの大それたことを、図々〈ずうずう〉しくもやってのける心臓の強いオトコ"を、そのまま実演したのである。
しかし、大きなクレームをつけられることなく法然さんの連載はその後もつづき、お寺への講演もたのまれている。
このとき、蟹江さんといろいろな話をしたのだが、蟹江さんも法然上人や増上寺とのかかわりだけではないことを教えて下さった。京都ではお寺のほかに大学関係でもいろいろと骨を折っておられるとのことだった。ただ話をされるあいだ、胸部に圧迫感があるのか、時々、声を出されるのがくるしそうにみえた。
ぼくはこういう症状の人をなん人かしっているので、(心臓がおわるいのだろう)と推測はしたが口には出さなかった。
もうひとつ、蟹江さんに意外な所でおめにかかったことがある。私事だが、ぼくの娘は絵描きだ。モチーフを"青"に定め、それもトルコ・イタリア・ギリシャなどの海の色を描く。これは現地にいって眼に仕こんでくる。よくいくトルコ料理店のおやじがそのことをトルコ大使に話した。
トルコ大使から娘に手紙がきて、「トルコ大使館内で個展をおやりなさい」というおさそいだ。娘はよろこんで応じた。オープンの日、ヒョッコリ蟹江さんがみえた。
「アレ、どうして?」とぼくはビックリした。蟹江さんに招待状は出していないからだ。が、例の温和な笑みをみせて、蟹江さんはこういわれた。
「うちの製品の原材料はかなりトルコから買っているのですよ」
「えっ?」
ああ、そうかと気がついた。トマトのことである。大量の買いつけをする蟹江さんは、おそらくトルコにとっては国賓的存在なのにちがいない。トルコ大使(女性)をまじえていろいろ歓談した。
蟹江さんは巾〈はば〉がひろく、そして底のしれない深さをもった人物だ。が、それをからだの底に沈めたまま、けっして大げさな表現をしない人だった。ぼくはそういう蟹江さんから会うたびになにかをまなんだ。いちばん教えられたのが、「沈黙の重さ」である。
亡くなったことのしらせには、「葬儀はすでにご親族だけで済まされた」とあった。蟹江さんのご遺志だろう。ぼくはこれを尊重し、ご遺族にもなんのごあいさつもしていない。
しかしぼくは、「死者は生者が記憶しているかぎり、まだ生きている」と思っている。だから蟹江さんはいまもぼくの胸のなかに生きている。これからも、「蟹江さん、これはどうしたらいいですか?」というぼくの幼ない問いに、あの温顔はやさしく答えて下さるだろう。蟹江さん、どうぞゆっくりお休み下さい。

〈お悔やみ〉
長年にわたり平洲会の発展にご尽力をいただいた、蟹江嘉信〈かにえよしのぶ〉会長が、去る一月二十日に永眠されました。
蟹江嘉信元会長には、平成16年より平洲会会長を務めていただきました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

平洲会事務局

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