平洲塾76「底にあるのは恕の心」

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ページ番号1004627  更新日 2023年2月20日

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底にあるのは恕の心

前号で予告した「刊行のことば」(種村一郎さん)をそのまま紹介させていただきます。この言葉の底にあるのは、ぼくはあくまでも"恕の心"だと思います。いうまでもなく、「常に他人の立場に立ってものを考えるやさしさと思いやりの心」のことです。種村一郎さんは、この本(『米沢における敬師の系譜』)を出版するときの自分の志を述べています。種村さんは、当時、米沢信用金庫の理事長を務めておられました。私見ですが、ぼくは信用金庫の理事長というのは地域の指導者で、金融業のかたわら心ある組合は必ず「地域にかかわりのある本」を出しています。ぼくが住む東京近辺でも「多摩信用金庫」というのがありますが、ここでも多摩地方におけるいろいろな歴史の本を出していて、ぼくにはとても参考になります。では、種村一郎さんの「刊行のことば」をご紹介します。

「大正期に於〈お〉ける米沢織物業界は、大正6、8年両度の大火災、仝〈どう=同〉9年の生糸「きいと」大暴落、仝〈どう=同〉12年の関東大震災と相次いで大きな災厄を蒙〈こうむ〉った。然〈しか〉も、それに加えて第一次世界大戦争終結による経済界の大不況の襲来は、大正末期の数年間に流通部門である買継商〈かいつぎしょう〉の軒なみ倒産続出を促〈うなが〉した。したがって販売機構は寸断され、金融は梗塞〈こうそく〉し、産地機能は壊滅に瀕〈ひん〉したのである。

この時、青年機業家高橋広吉氏(初代理事長)等は、産業組合法による信用組合を組織し、業者自らの手で金融硫通〈そつう〉の途〈みち〉を計る外ないと考え、同志とともにその設立を奔走〈ほんそう〉した。遂に大正15年11月1日、保証責任米沢織物製造信用販売購買組合として業務を開始したのである。この創立は、産地機構の大変革であっただけに、その設立前後には幾多の困難はあったが、よくこれを克服して産地復興の始動的役割をはたした。この信用組合が現在の米沢信用金庫の前身なのである。爾来〈じらい〉、数度にわたる準拠法の変遷により、合併、改組、呼称の変更等はあったが、地域金融機関として、また地元唯一の本店金融機関として、会員(組合員)及び市民各位の絶大なる支援協力によって今日に至っているのである。

前述のように、経済激動期にあたり、行き詰りを来たし、銀行から見離された当時の弱少業者の人々が信用組合を作り、これを中心にして相寄り相扶〈たす〉けあって苦境を打開したのである。この人とのつながり、また地域との密着した関連は、今もなお信用金庫の持つ独自性なのである。信用金庫は地域のものであり、地域あっての信用金庫でなければならない。したがって地域の為にお役に立つ、地域に寄与することが信用金庫の基本的理念である。故に信用金庫本来の仕事である貯蓄の奨励、安定資金の供給其の他、固有業務を通じて地域への奉仕に努めることは当然すぎるほど当然のことである。

然〈しか〉し、それとまた別な形で、大きなことは出来ない迄〈まで〉も、地域に何かを継続して寄与したい。これが、われわれの念願なのである。今回その一環として、「米沢信用金庫叢書」を刊行することゝした。これは米沢地方の歴史、人物、古書の再版、其の他郷士をテーマとする出版物である。もともと、この発想は、われわれのものではない。前理事長故猪俣政次郎翁は、その晩年に於〈おい〉て、鷹山公に関するもの、知人の伝記、関係会社の社史等可なりの部数の書籍を出版された。「記録は後世の為に残しておきたい」と、つねに言われた翁の言葉を継ぐことにしたものである。

叢書第一号として、まず故赤井運次郎先生とその小学校時代の教え子我妻栄〈わがつまさかえ〉博士との師弟愛をとりあげた。私は日頃敬慕申し上げていた赤井先生から、度々〈たびたび〉お聞きした我妻博士の老先生に対する敬師の至情には、いつも強い感銘を覚えていた。そして最近一般の師弟関係を考えるとき、老先生と博士との60余年にわたる心と心のふれ合いの美しさは、まさに珠玉とも思えたからである。幸い、赤井先生からは、この企画に御快諾を得た。その上、自分達のことばかりではなく、鷹山公以来の敬師もとり上げてはどうかとの御助言までも頂いたのである。然〈しか〉し赤井先生は、今春2月9日惜しくも長逝された。この書も遂〈つい〉に先生に見て頂くことの出来なかったことはまことに遺憾であった。

執筆をお願いした米沢女子短大教授上村良作先生は、私の尊敬する篤学者である。専攻は国語学であるが郷土史に造詣深く、また郷土愛の強い方でもある。非常に御多忙のなかを、健筆をもって、われわれの期待以上立派にまとめて頂いた御労苦に対し深甚なる謝意を表する次第である。故赤井先生の霊もさぞ御満足のことであろう。

尚、吉池市長、木村代議士、矢野先生より、それぞれ御懇篤〈こんとく〉な序文を辱〈かたじけの〉うし、一段と光彩を添えて頂いたことを深く御礼申上ぐるものである。特に、故赤井先生の御生前、親交の篤〈あつ〉かった矢野先生からは、本年98才の御高齢とは思えぬ長文の然〈しか〉も憂国の大文字を賜わり、まことに感謝に堪〈た〉えない。

昭和四十四年十一月

米沢信用金庫

理事長 種村 一郎

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