平洲塾62「よみがえる平洲先生と上杉鷹山」

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ページ番号1004641  更新日 2023年2月20日

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よみがえる平洲先生と上杉鷹山

前回までは、3月11日に起こった東日本大震災で、ぼくが大きなショックを受け、逆に被災地の中学生たちの活動に励まされた、ということを書きました。
いまこの原稿を書いているときは、すでに災害から3ヶ月の月日が経っています。ぼくの心にもかなりの変化がありました。というのは、古い言葉に、「新しい酒は新しい皮袋〈かわぶくろ〉に盛る」というのがあります。酒を人間の心、皮袋をその人間が生きている生活環境や条件とおきかえれば、「社会の変化によって、状況が変わったならば、人間のほうもそれに適用するように意識を変えていかなければならない」という意味になるでしょうか。いわゆる危機に面したり、あるいは急速な社会状況の変化に対応する人間の生き方を告げています。うまい言葉だと思います。よくいまも「改革」ということがいわれます。改革というのは三つの壁「物理的な壁(モノの壁)・制度的な壁(しくみの壁)・意識の壁(こころの壁)」に挑戦することだと思います。この中でとくに難しいのは"こころの壁の改革"でしょう。逆説的ないい方をすれば、こころの壁さえ改革すれば、ほかの制度の壁も物理的な壁も壊れるという例を、ぼくたちはかつてドイツのベルリンの壁の崩壊のときに経験しました。
今度のぼくの場合は、皮袋のほうが少しずつ変わってきたために、酒であるぼくの心も変わってきたという体験なのです。ぼくはいま原稿を書くほかに、日本各地で講演もしています。講演のテーマはいろいろありますが、なかにまだ「上杉鷹山と細井平洲先生」というのがあります。
またぼくは、NHKの週刊誌『ステラ』でも、毎年の大河ドラマに関するコラムを1頁ずつ書いています。そのため、NHKの地方局からも講演の依頼があります。当然、その年の大河ドラマをテーマにした演題が多いのです。
これに準じて、NHK以外のところでも、「江〈ごう〉か、江を含む戦国女性の話をしてください」という注文があります。ところが、いま新しく申しこみのある主催者の注文は、「上杉鷹山と細井平洲先生の話をお願いします」というのが増えてきました。極端なのは、「以前、江の話をとお願いしましたが、上杉鷹山と細井平洲先生に変えてください」というところさえあります。この現象をぼくは不思議だとは思いません。心の中では、(当然そうあることが自然なのだ)と思っています。前にぼくは阪神大震災のときにも被災地から講演を頼まれて、「心のケアをしてください」といわれたと書きました。そのころ完全にその意図を理解したわけではありませんでしたが、ぼくが話しつづけたのは「上杉鷹山と細井平洲」のことでした。上杉鷹山の理念・計画・実行の柱はすべて平洲先生の教えに基づくものですから、鷹山の言行の基盤にあったのは、すべて平洲先生の考えだといっていいでしょう。
つまりぼくにおける"新しい皮袋"というのは、東日本の震災後に起こってきたぼくへの講演の注文のテーマが、再び上杉鷹山と細井平洲先生のことを求められることが多くなったということです。これはこういう時期に際して、平洲先生が再びよみがえったといってもいいでしょう。そうなるとぼくの心も少しずつ変わります。それは、この現象は大変うれしいことなのですが、それでは、「いままでのようなプロット(構成)による話をすればそれでよいのか?」という疑問が湧くからです。つまり、そういう注文をしてくれる現地に対し、「少しでも役に立ちたい」と願うぼくにすれば、いままでのような古い話し方をそのまま持ちこんでいい、ということにはなりません。プラスアルファ、あるいはいまの状況に少しでもみあうような話に組み替える必要があるのです。組み替えるというのは、現地の状況の変化に対するサービスです。現地は、いま「復興」に向かって大変な努力をしています。そうであれば、その復興の努力に対し、少しでも励ましになり、慰めになり、あるいはソッと肩を押せるような話にすべきでしょう。ということは、上杉鷹山や細井平洲先生の話をするにも、鷹山や平洲先生がいったりおこなったりした、「復興にかかわりのあるエピソード」を盛るべきだという気がしました。
ぼくは鷹山の改革を話すときに、平洲先生の教えとして、「財政再建は、単に赤字を克服すればよいというものではない。人間の心の赤字も同時に克服すべきだ」という説を立てました。平洲先生が直接そんなことをいわなくても、平洲先生の改革に対する理念はそういうものだと信じているからです。心の赤字というのは、「自分のことばかり考えて、他人のことをいっさい考えない人間のエゴイズム」をいいます。つまり「自分だけ得をすればいい」ということです。災害を受けた土地で、こんな考え方を被災者がそれぞれ持ったら、ほんとうの復興はできません。あるいはそういう考えを持った人が、手段を選ばずに他人を突きとばし、自分の利益だけを考えれば、あるいはその利益が得られるかもしれません。つまり、「なりふり構わずに、なりふり構っている人を踏みつけていく」ということだからです。別に災害地でなくても、いまの現実社会ではこういう人が得をしている例がたくさんあります。そして多くの場合、踏みつけにされた人びとがそういう人に対し「理不尽だ」「もう少し他人のことも考えて欲しい」と願っても、そういうエゴイストは鼻の先でせせら笑うでしょう。そして、「悔しければ、自分もやってみるといい」とうそぶくのが関の山です。黒澤明という大監督の映画に"悪いやつほどよく眠る"というのがありましたが、そういう一面がこの社会にあることも事実でしょう。
しかし、おそらくそういう状況を苦労人である平洲先生はよく知っていました。だからこそ、そういう考えを退けて、鷹山には、「改革は、赤字克服と同時に人間の心の赤字も克服してください」と告げたのです。そう考えぼくは改めて、「細井平洲先生が示した上杉鷹山の改革方法」について考えてみました。根拠とすべきはやはり平洲先生の『嚶鳴館遺草〈おうめいかんいそう〉』になります。冒頭の「野芹〈のぜり〉上」に、「改革の根本三箇条」というのがあります。この三箇条に尽きると思います。原文を掲げてみます。
「国の財用は土地と民力とのふたつを根本にして生じ候外に、出る所は無御座候。土地の大小、民力の多少に随〈したがっ〉て、財用の生ずる高も限〈かぎり〉有之候もの故に、財用を用〈もちい〉る法を、入〈いる〉を量〈はか〉り出〈いずる〉を制すと申候。入とは年内出来る物成〈ものなり〉を申候。出とは夫〈それ〉をつかひ出すことを申候。入来る高にくらべて、遣ひ出す高を定〈さだめ〉候より外に、財用の繰廻〈くりまわ〉しかたは無御座候」現在にも当てはまる財政の原則を見事にいい得ていると思います。
(この項つづく)

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