平洲塾61「TPPと平洲先生(下)」

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ページ番号1004642  更新日 2023年2月20日

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TPPと平洲先生(下)

ぼくは改めて『嚶鳴館遺草』を読み返しました。それは前回の最初に書いた「日本はTPPに参加するのかしないのか」というテーマの中で、とくに重要視されている「農業問題」について、改めて平洲先生から学びたかったからです。同時にそれは、今後日本の農業改革を考えるうえで、政府や政党の提案がいろいろ出てくるでしょうが、ぼくはぼくなりにJAで研修をおこなう場合にも、平洲先生の「農業に対する考え方」をもう一度振り返りたかったからです。その問題がいちばん色濃くあらわれているのが『嚶鳴館遺草』です。ぼくの期待は見事にかなえられました。『嚶鳴館遺草』の最初のほうに、現在日本が抱えている「農業問題をどうすべきか」という問いかけに、ピタリと当てはまる答えが書かれていたからです。
「根本三個条」と見出しをつけた文章の冒頭に、次のような一文がありました。

《国の財用(財政のこと)は土地と民力とのふたつを根本にして生じ候外(そうろうほか)に、出る所は無御座候(ござなくそうろう)。土地の大小、民力の多少に随(したがっ)て、財用の生ずる高も限有之候(かぎりあるものにそうろう)もの故に、財用を用(もちい)る法を、入(いる)を量(はか)り出(いずる)を制すと申候(もうしそうろう)》

まさに、根本原則です。ここの後段で、「入を量り出を制す」というのは、予算の原則です。そして、財用すなわち財政の資源とするのは、「土地と民力以外ない」と平洲先生はいい切ります。土地と民力以外ないというのは、言葉を変えれば、「農業以外ない」ということです。
もちろん、平洲先生は江戸時代に生きた学者です。江戸時代の財政は、中央政府である徳川幕府も地方自治体である藩(大名家)も、米を主税にしていました。そしていまの地方自治体に相当する各藩は、"十割自治"でした。十割自治というのは、「その藩における行政計画を実行するのに必要な費用は、すべて自前で調達しなければならない」ということです。このことは、各藩に、「付加価値のある産品をつくる努力」を否応なく求めました。どんなに赤字になっても、現在のように地方交付税や国庫補助金を中央政府である徳川幕府は一文も出しません。
「自分の赤字は自分で始末しろ」と突き放します。上杉鷹山の改革において、現在も残る"米沢の名産品"がつくられたのは、そういう意味もあります。つまり、「どこにも泣きつくところがなく、自分のところで生じた赤字は、自分で消さなければならない」というつらい状況におかれていたからです。当時も、金融機関(大きな商人)がいました。しかし、上杉家はあまりにも赤字がひどいので、多くの金融機関からみはなされていました。当時の上杉家は、潰れる以外方法がありませんでした。それを鷹山は火種運動によってまず米沢城の藩士たちに勇気を与え、同時にその火種の飛び火によって、藩民の協力を得たのです。この考えの根本にあったのが『嚶鳴館遺草』に残された平洲先生の教えだったのです。
前回紹介したように、平洲先生は、財政の資源は土地と民力以外にないといっています。しかし、それは江戸時代の話であって、「いまは税制も改まりなにも米が主税になっているわけではない。主税は所得だ」という説もあるでしょう。そのとおりです。しかし一方でいまはエコを大事にしようという運動が世界的に広がっています。CO2を削減しようという日本の世界への呼びかけは、決して間違ってはいません。エコを大切にするということは、人間の思い上がった機械文明に対する反省であり、自然をもっと尊重して、人間も自然の一部であるという考えに立ち返ろうということだろうと思います。このまま進めば、機械文明の発達が地球そのものを消滅しかねません。現在のわたしたちが味わっている、異常な気象状況もそのひとつでしょう。いま、「改めて農業改革を考えよう」という提唱は、決して農業の再生だけではないと思います。日本人の生き方、ひいては人類の生き方そのものに対する大きな警鐘だと思います。
もちろん、TPPに参加する前提として、

  • 国内における食糧の自給率を高める
  • 輸出に値するような、農業製品の開発と生産

などは、当然もっと以前からおこなっていなければならなかったことでしょう。が、いたずらに過去を振り返るよりも、前に向かって歩いていくことのほうが大切です。

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平洲先生は、米沢藩の財政赤字状況を、「非常の事態」と捉えました。そして、「この状態に対応するためには、非常の方法を用いなければならない」といい切りました。非常の法というのは、「いまの方法を改める」ということです。いまの方法を改めるということは、「現在の状況の中に安眠していてはいけない。眼を覚まして、違う方法を考え出そう」ということです。この、「非常事態を認識して、それに対応する違う方法を考え出そう」ということが即「改革」だと思います。この"非常の法"の展開について、平洲先生は、「まず、トップリーダーから自分のくらしぶりをみつめ直してください」と告げます。トップリーダーというのはとりもなおさず藩主である上杉鷹山のことです。平洲先生は、鷹山に対しまず、「ご自身のくらしぶりを改革してください」と迫るのです。このことは、平洲先生が学んだ儒教における、「君主のあり方」につながります。君主のあり方というのは、「民に向かって仁と徳を示せ」ということでしょう。

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平洲先生は、常にトップリーダーを「木の幹と根」にたとえます。家臣や民は枝と葉です。したがって、「幹と根は、枝と葉を養う義務がある」という考えに立つのです。幹は、自分で自分を養わなければなりません。そのために根があるのです。根は、土中から滋養分を吸い上げて、幹を養います。平洲先生は、「根がしっかりしていなければ、幹も倒れるし枝葉も倒れる」と告げます。わかり易い例です。これは改革すべてに通ずる考え方だと思います。
そうなってくると『嚶鳴館遺草』で平洲先生が説いていることは、単に米沢藩の赤字を克服するために、「もっと農業を振興しなさい」とだけ告げているのではありません。農業の振興を通じて「人間の生き方」そのものに警告を発しているのです。つまり、「人間はどう生きなければならないのか」ということを説くのです。平洲先生はこの『嚶鳴館遺草』だけではありません。その教えの根底に常に横たわるのは、「恕〈じょ〉の精神」の勧めです。恕というのは何度も繰返しますが、「常に相手の立場に立ってものを考えようとするやさしさと思いやりのこと」です。これさえあれば、世の中がどれだけゆたかなものになるでしょう。やさしさと思いやりに溢れたものになるでしょう。そしてそのやさしさや思いやりのきもちを起こさせる「恕の精神」が、もっとも満ち満ちているはやはり"自然"です。自然は、人間のように言葉を持ちません。口もきけません。しかし四季折々に応じたいとなみは、心ある人間にいつも学ばせます。
「自然に学ぼう」というのは、なにもいわなくても自然のいとなみの中には、それなりの原理原則があり、自然はその原理原則に従って正しく生きているのです。自然にも生命があります。おそらく平洲先生は、「人間も自然の一部なのだ。だから、もっと自然に敬意を払い、少なくとも自然を超えた文明をつくり出したからといって、人間は驕〈おご〉り昂〈たか〉ぶってはいけない」とおっしゃっているのでしょう。
ですから、ぼくが今度TTPへの参加云々という課題から、改めて『嚶鳴館遺草』を読み返しているのも、こういう観点に立っているからです。それは、「ここで改めて農業問題を考えることによって、第二次産業などの機械文明にかかわりを持つ人びとも、改めて考えるところがあるのではないか」ということなのです。『嚶鳴館遺草』の中には、平洲先生はかなり「木を植え、育てる」という発想をされます。いちばんわかり易い例だからでしょう。木の苗を植え、肥料をやり、手をかけて、これを育てていくということは、そのまま人間界における、「ものごとを企て、計画し、実行し、完成させる」というプロセスにそのまま似ているからです。(この項終わり)

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