平洲塾66「土でつながるヒューマニズム 1(喜多方で生きつづける中江藤樹(2))」

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ページ番号1004637  更新日 2023年2月20日

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土でつながるヒューマニズム〈土の思想家たち〉その1 喜多方で生きつづける中江藤樹(2)

北海道開拓使長官黒田清隆〈くろだ・きよたか〉は、薩摩藩の志士として幕末に活躍した人物です。西郷隆盛を尊敬していました。そして当時としては珍しく英語に堪能〈たんのう〉でした。江戸時代の外国語はほとんどオランダ語でしたが、黒田はなぜか早くから英語を学んでいました。おそらくこれはかれが仕えた藩主の島津斉彬〈しまづ・なりあきら〉の影響を受けたと思います。土佐(高知県)出身のジョン・中浜万次郎という漁民がいます。嵐にあって無人島に漂着していたのを救助されアメリカに行きましたが、日本が恋しくなりアメリカの捕鯨船に乗って、まず琉球(沖縄県)にたどり着きました。当時の琉球国は薩摩藩の支配下にありましたので、琉球の首里〈しゅり〉政府は万次郎を鹿児島に届けました。このとき島津斉彬は積極的に万次郎を招いて話をききました。そして国際情勢のいろいろな情報を得ると同時に、「国際社会における原語はすでに英語に変わっております」とききました。おそらくこの影響で黒田も早くから英語を学んだのだと思います。
北海道の開発をするために、米のできないこの土地で新しい農業技術を開発するためには、世界の国の中で北海道とおなじような風土の土地での農業指導者を招くことが大切だ、と考えた黒田は、アメリカのマサチューセッツ州から、州立農業大学の学長だったウィリアム・S・クラーク博士に依頼しました。クラーク博士は承知しました。黒田は、「余計なお節介だが、クラーク先生のために札幌農学校の学則をつくっておこう」と考えました。そしてそれを自分の英語力で英訳をして待っていました。クラーク先生が日本に着くと黒田は早速この自分で英訳をした「札幌農学校の学則」をみせました。眼を通したクラーク博士は、「これは必要ありません」といって、せっかく黒田がつくった学則を返しました。黒田はさすがにムッとしました。そして、「クラーク先生、札幌農学校に学則は必要ないとおっしゃるのですか?」とききました。クラーク博士は首を横に振りました。
「学則は必要です。ただ、あなたがおつくりになった学則は数が多過ぎます。これをしてはいけない、あれもしてはいけない、これはすべきだ、あれもすべきだというように、せっかく英語にしてくださった学則ですが、『マスト』と『ネバー』が多過ぎます」と率直な意見をいいました。黒田は怒りが収まりません。そこで、「では、札幌農学校の学則を先生はどうお考えなのですか?」とききました。クラーク博士は、「学則はただひとつです。わたくしのここにあります」といって、指で自分の胸を示しました。黒田は眉を寄せました。
「学則はたったひとつだというのですか?」
「そうです」
「では、そのひとつだという学則を教えてください」
黒田は、いまはもうケンカごしです。クラーク博士はこう答えました。
「ビー・ジェントルマン(紳士たれ)」
「・・・・・・!?」
黒田は唖然〈あぜん〉としました。しかしクラーク博士がいったビー・ジェントルマンという言葉に胸を打たれました。そして、(なるほど)と反省しました。その黒田にクラーク博士がたずねました。
「黒田さんは、札幌農学校の教育方針をどう考えておられるのですか?」
黒田は答えます。
「わたくしはこの学校の卒業生が、日本の各地域の指導者になって欲しいと思います。したがって、札幌農学校を出たからといって必ずしも北海道で農業に従事しなければいけないという考えはありません。もっと広く深く学んで欲しいと思います」
「賛成です」
黒田の言葉にクラーク博士も眼を輝かせました。おなじ考えを持って日本にやってきたからです。同時にそれは、クラーク博士が母国のマサチューセッツ州立農業大学で教えている方針もおなじだったからです。クラーク博士も、「マサチューセッツ州立農業大学を出た卒業生は、アメリカ中に散って地域の指導者になって欲しい」と考えていたからです。だからこそ札幌農学校の学則もたったひとつ、「ビー・ジェントルマン」だけでいいと考えていたのです。つまり、どの地域の指導者になっても、やはり紳士でなければならない、というのがクラーク博士の考えでした。同時にクラーク博士は敬虔〈けいけん〉なクリスチャンでもあったので、カミの教えをそのまま学生たちの精神の基礎に据えようと思っていたのです。
クラーク博士が札幌農学校で教えたのは一年足らずです。マサチューセッツ州のほうから早く帰って欲しいという要望があったので、心を残しながらもクラーク博士は日本を去っていきました。このとき、札幌市外まで送ってきた学生たちに向かい、クラーク博士は馬の上からこう叫びました。
「ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ大志を抱け)」私事ですが、ぼくは小学生のころこの言葉が好きで、ヘタな字で紙に筆でこの文句を書いて机の前の壁に貼っていたのを思い出します。この言葉もクラーク博士が、札幌農学校を単なる農業技術の修得場にしたくなかったきもちがよくあらわれています。(つづく)

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