平洲塾65「喜多方〈きたかた〉で生きつづける中江藤樹(1)」

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1004638  更新日 2023年2月20日

印刷大きな文字で印刷

喜多方〈きたかた〉で生きつづける中江藤樹(1)

喜多方市〈きたかたし〉は、福島県の会津若松〈あいづわかまつ〉市の北方にある静かな町です。"蔵〈くら〉の町" "ラーメンの町"として有名で、この間までは多くの観光客が訪れていました。しかし今年の3月11日の大震災で浜通り(太平洋に近い地域)が大変な災害を受け、これに加えていわゆる"風評被害"でこれまた大変な被害を受けています。米・牛をはじめとする製品が出荷停止になったり、あるいは「身体に害はありません」と発表されても、消費者のほうで「福島県産というのは気にかかる」ということで、全体の出荷量がかなり減っています。これに観光客が輪をかけて減り、いま大変な状況になっています。
そんなときに喜多方市の「藤の樹会」という会からぼくに、「中江藤樹〈なかえ・とうじゅ〉の話をしてください」という依頼がありました。藤の樹会は文字どおり中江藤樹を信奉する会です。紹介は中江彰〈なかえ・あきら〉さんでした。中江さんは、滋賀県高島市立近江聖人中江藤樹記念館の館長です。ずいぶん前からぼくはいろいろと指導を受けています。それにしても東北福島県の北方にある喜多方市の有志からなぜ中江藤樹の話をして欲しいと依頼されたのでしょうか。
中江藤樹は滋賀県高島郡の安曇川〈あどがわ〉小川村に生まれました。安曇川町はその後高島市に合併されましたが、その前の安曇川町長は非常に熱心な藤樹信奉者で、ぼくに何度か藤樹の話をして欲しいという依頼がありました。ぼくは藤樹の専門家ではありません。ただぼくが若いころからライフ・ワークにしていたのは内村鑑三〈うちむら・かんぞう〉さんの『代表的日本人』で扱われている五人の人物を長篇小説に仕立てることでした。内村さんが取り上げたのは、西郷隆盛〈さいごう・たかもり〉、上杉鷹山〈うえすぎ・ようざん〉、中江藤樹・二宮金次郎〈にのみにや・きんじろう〉(尊徳)・日蓮〈にちれん〉の五人です。それぞれ区分けをすれば、西郷は政治家、上杉鷹山は地方大名、中江藤樹は地方の教育者・思想家、二宮金次郎は農業思想家、日蓮は宗教家です。
内村鑑三さんは札幌農学校(いまの北海道大学の前身)で、アメリカのマサチューセッツ州立農業大学学長ウィリアム・S・クラークさんに学んだ第2期生です。机を並べていたのが新渡戸稲造〈にとべ・いなぞう〉さんです。札幌農学校を創立したのは当時北海道開拓使長官であった黒田清隆〈くろだ・きよたか〉(薩摩藩出身)です。黒田は西郷隆盛の信奉者でした。維新のときに、函館にこもった榎本武揚〈えのもと・たけあき〉軍を攻撃するために政府軍の参謀になりました。このとき、黒田は総攻撃をする前に敵将の榎本武揚に、「総攻撃をするが、その前に降伏しますか? あくまでも戦いますか?」と使いを出してききました。榎本は「最後まで戦います」といいました。報告を受けた黒田は感動し、榎本たちのこもる五稜郭〈ぎりょうかく〉内に酒樽〈さかだる〉や、つまみをたくさん送りました。「これを飲んで元気をつけて戦意を高めてください」といいました。榎本は感謝して使いに、「この本は自分が外国に留学したときに買ってきたものです。新しい日本の役に立つと思いますので、黒田さんにさし上げてください」といって、国際法を一冊渡しました。受け取った黒田はまた感動しました。しかしそれからまもなく榎本は降伏しました。黒田は榎本が五稜郭にこもった目的を、「消滅した徳川幕府の家臣たちが、武士をやめて鍬〈くわ〉を握り、新しい農業開拓をおこなう土地にしたい」と考えていたことを知りました。新政府がそんなことをゆるすはずがありません。榎本たちは罪人として捕らえられました。しかし黒田はその後の榎本のために友情を示し、やがて明治新政府に榎本を迎えます。同時に黒田は、「榎本が持っていた北海道開拓の夢を実現したい」と考えます。しかし北海道の地理地形あるいは天候などは本州とは違います。黒田は、

  • 北海道ですぐ米は育たない。
  • しかし、ここでみあった生産物はたくさん考えられる。たとえば豆・トウモロコシ・タマネギ・酪農などは地味に適する。

と思いました。が、まだそういう農業指導をする人がいません。そこでかれは、「外国で、北海道の地理地形・天候に似た土地から、指導者を迎えよう」
と考えます。同時に、

  • そういう農業技術者を養成する学校をつくろう。

と思い立ちました。しかしこのとき黒田の構想は、

  • 新しくつくる学校を卒業した学生は、単に農業技術だけではなく、地域の精神的指導者にしたい。

とも考えました。そこでいろいろ調べて白羽の矢を立てたのが、前に書いたアメリカマサチューセッツ州の農業大学の学長クラーク博士だったのです。(次回につづく)

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 平洲記念館
〒476-0003 愛知県東海市荒尾町蜂ケ尻67番地
電話番号:052-604-4141
ファクス番号:052-604-4141
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。