平洲塾63「非常の時には非常の法を」

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ページ番号1004640  更新日 2023年2月20日

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非常の時には非常の法を

いま、"東日本の大震災による被災地"では、「地域をいかに復興するか」という問題が大きな課題になっています。
よく「復旧と復興」というテーマ設定がありますが、復旧というのは文字通り「元の形にする」ということであり、復興というのは「新しい状況に応じたクリエイティブな要素も加える」ということでしょう。したがって、多くの人が「復旧ではなく復興だ」というのは、まちづくりにしてもまったく新しい状況下に対応する工夫がいるということだと思います。新しい工夫がいるというのは、前号に書いたように"新しい皮袋"をつくるということです。そのためには古い酒(住民)も新しく変わらなければなりません。しかしそのためにはテキストが必要です。
ぼくは改めて細井平洲先生の『嚶鳴館遺草〈おうめいかんいそう〉』を読み返してみました。そして、これは被災地の復興問題が起こったときから感じていたことですが、「平洲先生の『嚶鳴館遺草』こそ、復興の共通のテキストになるのではないか」という思いが突き上げたことです。
『嚶鳴館遺草』には、「赤字に苦しむ地域の指導者が、その赤字を克服するためにはなにをすべきか、そしてその改革をおこなうためにはどういう心がまえを持つべきか」ということが懇切丁寧に書かれています。
一読すると、人によっては、「これは精神論だ」と思うかもしれません。しかしよく読んでみると、その精神論と思われる"心の持ち方"の中に、「それはこういう方法でおこなうべきだ」という、平洲先生の具体策が宝石のように散りばめられていることを発見します。ぼく自身、何度も『嚶鳴館遺草』を読みながら、しかしいまの段階でもまだ、「いままで読み落としていた項目や文章」に気がつくことが多いのです。
平洲先生の文章は非常にわかりやすいので、読んでいて「なるほど、よくわかった」と思いがちです。ところがこれは一種の錯覚で、ほんとうのところはよくわかっていないのです。わかったつもりで読み過ごしてしまったことが、実は大きな意味を持っていて、それに気がつかないことが多い、ということを改めて感じます。それは平洲先生がへりくだった人格で、「ドラスティクな表現」を取らない、ソフトに語りかける、といういたわりの心で文章を書かれているためだと思います。そのいたわりにこっちがついいい気になって、読み過ごしてしまうことが多かったのです。
***
今度、東日本の大震災による被災地の復興、ということを頭におきながら『嚶鳴館遺草』を読み返して、気がついたことがありました。それは平洲先生が何気なく、「非常の時には非常の法が必要だ」と述べておられることです。
平洲先生は、「非常の時というのは、普段とは異なることだ」とサラリと書いておられます。サラリと書いておられるので、こちらもサラリと読み過ごしてしまうことが多いのです。しかし、これは大きな間違いだと気がつきました。平洲先生は、「普段と違う状況に襲われたのだから、普段とは違う方法を持って対応しなければダメだ」とおっしゃっているのです。
ごく当たり前のことです。ところが、このごく当たり前のことを当たり前だと読み過ごしてしまうのは大きな間違いです。平洲先生が「非常の時には非常の法を」とおっしゃっているのは、「まず、指導者から非常の法を用いるべきだ」と告げておられるのです。
指導者における「非常の法」とは、いうまでもなく、「いま当たり前のことだと思っているくらし方を、根本的に改めなければいけない」ということです。
いうまでもなく『嚶鳴館遺草』は、米沢藩主上杉鷹山に対して書かれたものですが、しかしここに書かれていることは微塵〈みじん〉も鷹山に対するいたわりはありません。むしろ"きびしいムチ"がソフトなシュガーコート(糖衣)に包まれてはいますが、その糖衣の間から鋭い針が次々ととんできます。一言でいえば、「君主の座にあるあなたは、普段なに不自由なくくらしておられる。それは、下の者がそういう扱いをしているからです。つまり、あなたを天と仰ぎ、みんながいろいろな金品を拠出して、不自由のないように仕向けているからです。それを一変しましょう。原点に戻って、いまの生活を顧みていただきたい」と、真っ向から鋭い槍〈やり〉を突き出します。なぜかといえば、「君主というのは、その指導下にある人びとにとっては天のようなものであり、また根や幹のようなものだから」と説明します。

  • 根であり幹であれば、当然そこには枝葉が生ずる。
  • 枝葉というのは、城の家臣のことでありその家族のことであり、
    同時に藩民全体のことでもある。
  • したがって、根や幹の動き如何〈いかん〉によっては、それに
    従っている枝葉も枯れることがある。
  • 幹や根にとって、枝葉は子どものようなものだから、絶対に
    その生命を枯らしてはならない。
  • そうなると、根や幹はどうすればよいのかという問題が起こって
    くる。

この「根や幹はどうすればよいのか」という方法論として、平洲先生は、「非常の法を用いなさい」と告げるのです。
(この項つづく)

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