平洲塾57「舞阪の笛(下)」

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ページ番号1004647  更新日 2023年2月20日

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舞阪の笛(下)

この笛には思い出があります。それは火事になった年から7年前の宝暦3年の秋に、平洲先生は急に故郷の尾張(愛知県)平島〈ひらしま〉村に帰郷することになりました。この途中、遠江〈とおとうみ〉(静岡県)の舞阪〈まいさか〉を通りかかりました。ふっとみると、道脇に大きな竹むらがあります。平洲先生は一目みて、「これは立派な竹やぶだ」と感じました。竹のむれはすべてよく伸びた節を持ち、また張った枝を持っています。枝には葉が美しく繁っています。実に見事な竹やぶでした。平洲先生は突然、「この竹やぶの中には、きっとよい笛の材料になるような竹があるだろう」と思いました。竹林に入って探してみると、いい竹が一本みつかりました。そこで、一旦表に出てこの竹やぶの持ちぬしを探し、自分の探し当てた竹をゆずってもらいました。
「その竹をなんになさるのですか?」竹の持ちぬしがききます。平洲先生は、「笛をつくります」といいました。竹やぶの持ちぬしは、「ご自分でおつくりになるのですか?」とききました。平洲先生は、そうですよと笑ってうなずきました。そして、宿で竹を削り、笛をつくりました。平洲先生は音楽が好きです。また笛も達人です。自分でつくった笛を吹いてみると、素晴らしい音が出ました。平洲先生はうれしくなり、「この笛は、"舞阪の笛"と名づけよう」と考えました。
平洲先生がこの笛について書き残した文章があります。それによると、

  • 笛の長さは、銅尺で2尺2寸(約68センチ)
  • 節の間は1尺8寸5分(約57センチ)
  • 表面には派手な飾りをつけないで、笛の内部に朱の漆〈うるし〉を塗りました。
  • 笛の頭部と尾部とを金で包んで固めます。さらに薄紅色〈うすべにいろ〉の糸を結びつけて梅の花の飾りを模しました。これは、民謡の"梅花落〈ばいからく〉"にあやかったものです。
  • 吹き口の上に金で銘〈めい〉を刻みました。銘は次のとおりです。

「すらりと延びた舞阪の竹よ、その姿に魅せられて笛を作って吹いてみたところ、音律はみごとに調和し、かの竹の天賦〈てんぷ〉の美質は少しも変わっていないのであった」
(このへんの記述は、東海市教育委員会発行の『嚶鳴館遺稿注釈諸藩編』小野重仔〈おの・しげよ〉先生訳によります。)
その後、先生は西条侯(四国の大名)に仕えるようになります。この西条侯は大変音楽が好きなので、あるとき、先生は西条侯に"舞阪の笛"を献上しました。先生は、「あのとき、遠江の藪の中を探しまわってやっとみつけた一本の竹でこの笛をつくった。しかも、江戸を焼き尽くした大火事でも、この笛だけは焼け残った。この笛はなにか不思議な運命を持っているように思える。だからわたしの手元におくよりも、音楽のお好きな西条のお殿様に使っていただいたほうが、天与の使命をもった祭器の中に加えていただいて、なんとか千年の後まで伝えられる物になってくれたら、と思う次第である」と書き残しています。
旅の道すがら、道脇に発見した竹やぶの中に入って、夢中になって一本の竹を探しまわる先生の姿が眼の前に浮かんできます。そのときの先生はなにもかも忘れていたと思います。そして、やっとみつけた竹で見事な笛をつくり、それを大切に保存し、火事で焼け残った後、尊敬する四国の殿様に献上するという先生のきもちが、非常に温かいものとして伝わってきます。ぼくはこの話が大好きです。

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