平洲塾42「平洲先生への批判を考える(1)」

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ページ番号1004662  更新日 2023年2月20日

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平洲先生への批判を考える(1)

常にへりくだった態度で人びとに接し、教えを乞〈こ〉う者に対しては、「難しいことをやさしく説く」という平洲先生は、多くの人から慕われました。批判などする人間はまったくいないだろうとだれもが思います。
しかし、必ずしもそうではありませんでした。平洲先生を褒〈ほ〉めない人もいます。
たとえば、上杉鷹山の改革を支えた重役のひとり莅戸善政〈のぞき・よしまさ〉です。
上杉鷹山の改革を支えたグループには、細井平洲先生がおられたことはもちろんですが、米沢藩において実際に行動した"三羽ガラス"がいます。家老の竹俣当綱〈たけのまた・まさつな〉、莅戸善政〈のぞき・よしまさ〉、佐藤文四郎〈さとう・ぶんしろう〉です。これらの三人はほんとうに、上杉鷹山と一心同体になって、鷹山の考えを実行に移しました。そして鷹山の考えはそのまま細井平洲先生の教えでした。
だからぼくは単純に、「主人の上杉鷹山公が平洲先生を尊敬しておられるのだから、竹俣・莅戸・佐藤の三人もおなじきもちを持っていたにちがいない」と考えてきました。
ところが、ここのところずっと紹介している『伝記走馬灯』(森銑三先生著)の中に、莅戸善政のことばとして次のようなくだりがあります。
***
ある人が莅戸善政にききました。
「細井平洲先生というのは、どのような方ですか?」この問いに対し莅戸は、「よい学者さんだ」と簡単に答えました。きいた方は満足しません。
「もう少し詳しいことを教えてください」と迫りました。すると莅戸はこんなことをいいました。
「誠に平洲(呼び捨てです)は、それほどの人物ではないが、さすがに古い学問をまなんだだけあって、最近は主君(鷹山)や、だれかれに向っていうところを、採用されることが多かった。また主君のご幼少のときからの先生なので、主君もことに重んぜられている。その(平洲の)いうところにほとんど従っておられる。その意味では、主君ご自身のおためになったことも少なくはない。しかし、誠によく国家を治むべき道を知った学者ではない。また国政を委ねるべき人物とも思わない」きいた者は意外な顔をしました。それはぼくとおなじように、きいた人も、(莅戸様は細井先生のお教えを受けて、いまのお仕事をなさっているのではないのか?)と思っていたからです。
意外に思った質問者は、「それでは、莅戸様はどういう学者を尊敬しておいでなのですか?」とききました。やや皮肉な意味がこめられています。
莅戸はこう答えました。
「いまわが国の学者の中で、徳のある君主といってもいい方は伊藤仁斎〈いとう・じんさい〉先生だけだ。また、識見や学術の深さにおいては、荻生徂徠〈おぎゅう・そらい〉先生の右に出る者はいない。徂徠先生は、近世のすぐれた学者であるばかりではなく、遠く古〈いにしえ〉の人にもすぐれていたと思う。もし、徂徠先生を用いる人がいたら、たいへんな功業をなしたにちがいない」ことばどおり、莅戸善政は荻生徂徠を心から尊敬していたのでした。
***
ぼくは、この莅戸善政の細井平洲先生批判について、いろいろなことを考えました。はじめは、

  • 上杉鷹山に対して、平洲先生は子どものころからの学師だった。
  • そのことは、当時"米沢藩のトラブルメーカー"として、江戸の藩邸に追放されていた竹俣・莅戸・佐藤などはよく知っていた。
  • そして、若い鷹山が家督〈かとく〉を継いでいよいよ米沢へ入国するという直前に、細井平洲の教えを織りこんだ「藩政改革のテキスト」をつくり、これを事前に米沢城に勤める武士全員に配れ、と鷹山が命じたことも知っていた。
  • 入国した鷹山が展開した改革は、すべてこの改革のテキストに基づくものだ。それは即、細井平洲の教えを鷹山が実行したということだ。
  • しかし、米沢城の重役たちはこの改革に反対した。とくに鷹山が日向〈ひゅうが・宮崎県〉の秋月〈あきづき〉という小さな大名家からきたことを嫌い、「小さな大名家の息子に、名門上杉家の藩政改革などできない。まして事前にわれわれ重役になんの相談もなく、こんな改革のテキストをつくるとはなにごとだ」と怒り、協力しなかった。
  • こういう空気の中で、(ぼくの考えでは)竹俣や莅戸は「改革の案をつくった細井平洲先生の存在を、あまり大きく前に出すことはかえって平洲先生のおためにもならない」と考え、あるいはこういうようないい方をした。

つまり、最初ぼくが考えた莅戸の平洲先生批判は、《米沢城における、平洲先生の立場を守るために、あえて悪口をいったのだ》というものでした。
このことがずっと頭の隅にこびりついていました。脳というのは、人間が寝ているときも活動しているから、頭の中に仕こんだ菌はそのまま発酵します。これが発酵したときに、ちがった考えが生まれていました。それは、《莅戸善政の平洲先生批判は、ホンネなのかもしれない》ということです。どういうことか、そのへんのぼくなりの詮索については、次回にご紹介します。皆さんも、お正月休みに考えてみてください。
では、よいお年をお迎え下さい。

本のご紹介

細井平洲「小語(しょうご)」注釈
平成7年発行 A5判 345頁 1冊 1,120円(別途送料1冊 350円 650g)
「小語」とは、細井平洲自身が見聞きした君主から名もない人物まで、70人余の逸話が漢文で書きとめられた書物。小野重伃(おのしげよ)氏の研究により完成した、平洲研究の原典となる注釈本。

写真:細井平洲「小語」注釈本

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