平洲塾41「義とは、頼られた死生を共にすること」

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ページ番号1004663  更新日 2023年2月20日

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義とは、頼られた死生を共にすること

今回もひきつづき森銑三〈もりせんぞう。1895~1985 在野の歴史学者、書誌学者〉先生のお書きになった『伝記走馬燈〈でんきそうまとう〉』の中から、細井平洲先生のエピソードを紹介します。
先生の門人に、橋本丈右衛門<はしもとじょうえもん>という武士がいました。仙台藩伊達家<だてけ>の家臣でした。気骨のある人物で、しばしば主人の誤った行動を諫<いさ>めました。ところが、あるときあまりにも激しい諫め方をしたので、主人が怒って橋本丈右衛門をクビにしました。丈右衛門は、「こんな諌言〈かんげん〉もきちんときかないようでは、こっちが主人をクビにする」といって、仙台の城下町から去りました。そしてたずねてきたのが、当時尾張徳川家に仕えていた平洲先生のところでした。
丈右衛門はかねてから平洲先生を尊敬し、その教えを受けていたのです。平洲先生は快く丈右衛門を迎え、「気のすむまで、うちでくらしなさい」と温かく迎えました。
しかしこのことはたちまち仙台藩の知るところとなり、仙台藩からはしきりに平洲先生に「橋本丈右衛門は主人の怒りに触れて脱走した武士です。お引き渡しください」と迫りました。が、平洲先生は知らん顔をしていました。先生は、「窮鳥〈きゅうちょう〉懐〈ふところ〉に入〈い〉れば、猟師〈りょうし〉これを殺さず」という言葉をそのまま守っておられたのです。
いくら頼んでも平洲先生が丈右衛門を引き渡さないので、伊達家の殿様も意地になり、ついに尾張徳川家の殿様にこのことを伝えました。そして、「あなたから細井平洲先生を説得して、橋本丈右衛門を仙台に引き渡すようにしてください」と頼みました。
尾張の殿様も困りました。そこで平洲先生と親交のある人見弥右衛門〈ひとみやえもん〉という学者をさし向けることにしました。
弥右衛門が平洲先生のところにやってきました。そして仙台藩の使者とおなじことをいいました。平洲先生は首を横に振りました。人見弥右衛門はしだいに腹が立ってきました。しまいには、「細井先生、この人見とは長年親しくしていただいた仲ではありませんか。どうか、わたしの顔を立てて橋本丈右衛門を仙台にお引き渡しください」といいました。
平洲先生はこれをきくと眉〈まゆ〉を立てました。そして、「この問題は、あなたの顔を立てるとか立てないとかということではありません。わたしは、頼られた死生を共にするということがすなわち「義」だと思っております。いまは義を貫いているのです。もしも、橋本丈右衛門を無理やりにでも仙台藩に引き渡すというのであれば、わたくしもいま尾張のお殿様に仕えている職を辞任したいと思います」と応じました。これには人見弥右衛門もなにもいえず、「細井先生は、みかけと違ってほんとうにガンコなお人だ」と捨てゼリフを残して帰っていきました。門人たちが心配しました。
「人見先生は、尾張藩でも力のある方です。あんな対応をしてもいいのですか?」
平洲先生は笑いました。
「人見先生もひとかどの学者だ。さっきは腹を立てられたが、家に戻ればきっと後悔なさっているはずだ。心配することはない。わたしのいったことをよくご理解いただけるはずだ」といいました。
そのとおりでした。こういう問題が起こると、平洲先生は決してそのままにはすませません。人見弥右衛門のところに門人を使いに出しました。こういわせました。
「先日、殿様からよいお酒を頂戴いたしました。ごいっしょに飲みませんか。ついては、うまい肴〈さかな〉がありませんので、おいでになるようでしたらご持参ください」使いを受けた人見弥右衛門は笑いました。平洲がみこんだとおり、もう怒ってはおりません。それは、「義を貫くという細井先生は立派だ。たしかに先生のおっしゃるとおりだ。無理強いしたわたしのほうが恥ずかしい」と後悔していたのです。
人見弥右衛門はうまいつまみを持ってやってきました。そして、愉快にふたりでお酒を飲みました。もちろんその席に橋本丈右衛門も加わりました。人見弥右衛門は橋本丈右衛門の肩を叩いて、「おぬしは、ほんとうによい先生に匿〈かくま〉われたな」と励ましました。
仙台藩もついにあきらめました。そこで、橋本丈右衛門は江戸に出て、町の学者になり塾を開いたといわれています。ソフトな平洲先生に、こんなガンコな面があったとは意外です。しかし先生のいう「義とは、頼られたら死生を共にすることだ」といわれた言葉はいまの世の中では想像もできないほど重いものです。

本のご紹介

細井平洲「小語(しょうご)」注釈
平成7年発行 A5判 345頁 1冊 1,120円(別途送料1冊 350円 650g)
「小語」とは、細井平洲自身が見聞きした君主から名もない人物まで、70人余の逸話が漢文で書きとめられた書物。小野重伃(おのしげよ)氏の研究により完成した、平洲研究の原典となる注釈本。

写真:細井平洲「小語」注釈本

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