平洲塾55「消えないローソク」

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ページ番号1004649  更新日 2023年2月20日

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消えないローソク

わたしはいま韓国ドラマにハマっています。現代ものも王朝ものも問わずにみています。日本のテレビ局でも積極的に放映しているので、多い日は5本から6本のドラマが朝から夜にかけて、流れています。
わたしを夢中にさせているのはなんなのでしょう? "涙"です。涙を流させる感動です。感動を生むドラマのシーンです。この間、こんなことがありました。王朝もので場所は貧しい民家の一室です。部屋の中の灯火は細いローソク1本です。
日本ではそんな場面でも、ローソクに火がともされると部屋全体があかるくなります。投影の関係でローソクだけの光ではシーンがくらくなってしまうので、待ちかまえていた電気の照明がいっせいにともされるからです。したがってこのやりかたは、ほんとうはリアルではありません。つくられた虚構のシーンといってよいでしょう。
韓国ドラマはローソク1本の光だけで撮影されます。そのため場面はくらく、登場人物(たとえスターであっても)の姿もくらく、ハッキリしません。しかしローソク1本の光ではこれがほんとうでしょう。
そういうくらい部屋のなかにふたりの人がいました。ひとりの人が相手にいいました。
「あなたはこのローソクです」
「なぜですか?」
「自分の身を燃やしながら、まわりを照らしています」
わたしは圧倒されました。こんなありふれた、多くの人が出会っているはずの場面から、こんなすばらしい発見をするのは、よほどこのドラマのつくり手たちがヒューマニストであることを物語っています。この瞬間、わたしも思いたちました。
(わたしも1本のローソクになろう!)と。
細井平洲先生も"1本のローソク"です。自分の生命を惜しみなく燃やしながら「感動こそ、人間のよいおこないの動機である」と説きつづけました。
先生を尾張藩の精神的指導者に招いた藩主の徳川宗睦〈むねちか〉の目的も、そこにあったのだと思います。わたしはこのごろ、「人間社会における役割分担」ということを考えるようになりました。それは、「ひとりの人間ではなにもかもできない」ということをさとったからです。
徳川宗睦はこのころの尾張における最高権力者です。かれは"名君"とよばれています。しかし名君というのは「自分ひとりでなにもかもおこなう」ということではありません。「やりたいけれども自分にはその能力がない」ということを謙虚に自覚し、「その能力をもつ人を発見し、自分のかわりにやってもらう」ということのできる人のことです。"人材登用"のことです。
平洲先生は、藩主宗睦の考える、「感動をもつ藩民」を育成する絶対的な教育者でした。宗睦は率直に、「やりたいけれど自分にはできない。できるのは平洲先生以外ない」と思っていました。ですから、このかぎりにおいては、平洲先生は「藩主徳川宗睦の一分身」だったのです。平洲先生もそのことをよくわきまえていました。
「自分のいうこととやることは、殿様(宗睦)の身がわりである」と考えていました。この身がまえと気迫が、先生の講義をきく人びとを感激させました。米沢でおこなったのとおなじように、先生は藩領である尾張国内や美濃国(岐阜県・木曽福島地域。山林は尾張領だった)まで出かけていきました。トータルで何万人という聴衆があつまった、という記録があります。「みんな感動して泣いた」と書かれています。
平洲先生は、"消えないローソク"でした。

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