平洲塾46「平洲先生の義」

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ページ番号1004658  更新日 2023年2月20日

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平洲先生の義

平洲先生がいちばん愛したのはやはり庶民だったと思います。しかし、その庶民の生活は武士の政治によって左右されますから、「庶民がくらしよくなるように、武士の政治を改めてもらおう」というきもちで、平洲先生は積極的に武士の世界にも入りました。武士の世界でいちばん大切なのは「義」です。平洲先生にもこの「義」にかかわるエピソードがあります。

先生の門人に橋本丈右衛門〈はしもと・じょうえもん〉という武士がいました。元は仙台藩伊達〈だて〉家の家臣でしたが、あるとき藩主(殿様)のおこないが悪いので、丈右衛門は口を極めて諌〈いさ〉めました。ところがその諌め方がきびしかったとみえて、殿様は怒りました。丈右衛門は藩から脱出しました。そして、かねてから尊敬していた平洲先生のところにきて、「こういう次第で、藩を出てまいりました」といいました。
平洲先生は同情し、「あなたは義を貫いたのだ。かつてわたしの塾にいたときに学んだことをそのまま実行したにすぎない。安心して、わたしの塾にいなさい」といいました。つまり、橋本丈右衛門を先生は匿〈かくま〉ったのです。橋本丈右衛門のゆくえを仙台藩では血眼〈ちまなこ〉になって捜しました。
「橋本は、殿様に恥をかかせたけしからぬ男だ。捕まえて厳罰に処さなければならない」ということで、江戸にも追っ手が次々とやってきました。追っ手はやがて、「橋本のやつは、どうもかつて学んだ細井平洲という学者のところに匿われているようだ」と見当をつけました。そこで仙台藩の武士が平洲先生のところにやってきました。
「こちらに橋本丈右衛門という仙台藩の武士がご厄介〈やっかい〉になってはおりませんか?」と遠まわしにききます。平洲先生は平然として、「いや、そんな人はいませんね」と応じます。仙台藩の武士はすでに近所の噂〈うわさ〉をきいて、橋本丈右衛門が先生の塾にいることを確かめていますから、引き下がりません。
「どうか、橋本をお渡しください」と頼みます。しかし平洲先生は首を横に振りつづけました。
「わたしがいないというのだから、橋本などという武士はこの塾には絶対におりません。お帰りください」ときびしい態度で仙台藩の武士を追い帰しました。が、このままではすみませんでした。悔〈くや〉しがった仙台藩の武士は、そのことを殿様に報告しました。仙台藩の殿様は考えます。やがて、

  • 細井平洲は、いま尾張藩徳川家の学問の指導をしている。
  • それなら、尾張の藩主に交渉して、平洲を説得してもらおう。

と決意しました。そこで仙台藩の重役が尾張藩にやってきて、尾張藩の重役にこのことを頼みました。尾張藩の重役は弱りました。当時の尾張藩の藩主は徳川宗睦〈とくがわ・むねちか〉といってなかなかの名君でした。細井平洲を尾張藩の学者として召し抱えたのもこの宗睦です。しかし宗睦は伊達家からの申し入れをそのまま無視することはできません。結局重役に、「細井先生を説得して、その橋本という武士を引き渡すようにいってもらえぬか」といいました。
細井平洲説得の使者に立ったのが人見弥右衛門〈ひとみ・やえもん〉という人物です。
人見弥右衛門は、なかなかの学者で平洲先生とも親交がありました。平洲先生を徳川宗睦に推薦〈すいせん〉したのも、この人見だといわれます。尾張藩の重役はそういうことを知っていたので、人見を呼んで、「おまえが平洲先生を説得してこい」と命じました。人見はいやな役だなと思いましたが、平洲先生のところにやってきました。そしてこういう次第だ、橋本を仙台藩に引き渡してもらいたい、といいました。平洲先生は首を横に振ります。
「せっかくの人見先生のお言葉だが、それには従えない。橋本丈右衛門はたしかにわたしのところにいるが、かれを守り抜くことがわたしの“義"なのだ。理解してください」と突っ張ります。人見は諦〈あきら〉めません。いろんな理屈をこねて、平洲先生を納得させようとしました。が、平洲先生は最後まで首を横に振りつづけます。人見はついに怒りました。そして、「先生はもう少し話がわかると思っていたが、案外ガンコだ。わたしも面目〈めんもく〉をつぶされた以上、これ以上先生とおつき合いするわけにはいかない。きょうで先生とのおつき合いは断交します」と、絶交の言葉を告げて立ち去りました。平洲先生の門人たちが心配します。
「先生のいまのお立場で、尾張家の重臣である人見様を怒らせるのは得策ではありません。橋本さんを引き渡して、人見様の面目をお立てになってはいかがですか」といいます。平洲先生はきびしい顔でそんなことをいう門人を睨〈にら〉みつけました。
「おまえはなにをいっているのだ? いままでわたしの塾にいていったいなにを学んだのだ? 武士がいちばん大事にしなければいけないのは“義"だ。いま橋本さんを仙台藩に引き渡したら、わたしの義が立たない。あくまでも橋本さんを庇〈かば〉い抜く」しかし平洲先生も仲のよかった人見弥右衛門を怒らせたことは気になりました。そこで手紙を書きます。そして門人に、「この手紙を人見さんに読んでもらうように」と命じました。門人が届けにきた手紙を読んだ人見は、はじめは怒った表情でしたが、やがてはニコニコ笑い出しました。
「どうなさいました?」手紙を届けにきた平洲先生の門人がそうききました。人見弥右衛門は手紙をその門人にみせました。手紙には、「先程は失礼しました。いま、わたくしのところにさるお大名から頂戴しましたおいしいお酒があります。ただし、酒の肴〈さかな〉がありません。なにかお手持ちでしたら、頂戴できませんか」読み終わった門人も笑い出しました。そして人見に、「どうなさいますか?」とききました。人見は、「これは、平洲先生からの和解の申しこみだ。断るわけにもいくまい。肴はわたしが直接持ってお伺いすると平洲先生にお伝えしてくれ」これをきいて心配していた門人はほっと胸をなでおろしました。やがて、肴を持った人見弥右衛門が平洲先生の家にやってきました。
そしてふたりは大いに酒を飲み、語り合いました。さっきの争いの気配などまったくありません。人見は平洲先生にいいました。
「普段温厚な平洲先生が、あそこまで橋本さんを庇〈かば〉うとは思わなかった。平洲先生はやはり“義"の人です」人見弥右衛門にそういわれて、平洲先生は恐縮しました。
平洲先生は考えました。それは、(橋本をいつまでもここで匿ってはいられない)ということです。そこで橋本と相談し、橋本の姓を赤松と改めさせて、江戸で私塾を開くことをすすめました。その世話のいっさいは平洲先生がみました。橋本丈右衛門は感謝し、変名して小さな塾を開きました。仙台藩伊達家でもこのことを薄々知ってはいましたが、しかしそれ以上追求するわけにはいきません。平洲先生の「義」は立派に成り立ったのです。

本のご紹介

細井平洲「小語(しょうご)」注釈
平成7年発行 A5判 345頁 1冊 1,120円(別途送料1冊 350円 650g)
「小語」とは、細井平洲自身が見聞きした君主から名もない人物まで、70人余の逸話が漢文で書きとめられた書物。小野重伃(おのしげよ)氏の研究により完成した、平洲研究の原典となる注釈本。

写真:細井平洲「小語」注釈本

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