平洲塾50「尾張藩の伝統(下)」

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ページ番号1004654  更新日 2023年2月20日

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尾張藩の伝統(下) 名古屋城は、徳川家康の理念と夢をこめた城?

「尾張国を統治した尾張藩徳川家の特性」について、ぼくがいままでいわれてきたこととちがった考えを持ったのは「名古屋城の性格」です。ぼくも名古屋城築城四百年を記念する催しに何度か参加し、講演にもいきました。しかし、話をするために下調べをしたとき、ぼくはある疑問を持ちました。それは、「徳川家康は、江戸城という本社とは別に、名古屋支店をつくったのだろうか?」ということです。考えた挙句〈あげく〉、ぼくは、「いや、それは違うな」と思うようになりました。つまり徳川家康が名古屋城を造ったのは、「政治の城である江戸城とは別に、名古屋城に徳川家康自身の政治理念と夢をこめたのではないか?」という考えです。どういうことかといえば、このホームページをみてくださる方々は、尾張国に住んでおられる方がおおいと思いますからとっくにそんなことはご存知でしょうが、尾張国には古くから"あゆちの伝承"があります。"あゆちの伝承"というのは、「尾張国には、海から吹いてくる幸福の風が上陸する」といういい伝えです。万葉集の歌にもありますね。幸福の風を"あえの風"といっています。一方、伊勢地方には"幸福の波の伝説"というのがあります。これは伊勢というのはもともとは「磯〈いそ〉」ということだそうです。向こうは風ではなく"常世〈とこよ〉の国から寄せる幸福の波が着岸する岸辺"という意味だそうです。幸福の風と波、このふたつが伊勢湾に面した地域における古いいい伝えなのです。

勉強好きの初代の徳川義直〈よしなお〉は、おそらくこの地域に伝わる伝承を知ったにちがいありません。そこでかれは、「伊勢神宮のほうは、幸福の波を受けとめる古代民族の象徴的なお寺」と考え、「尾張国では、幸福の風を受けとめる地域の象徴が熱田神宮〈あつたじんぐう〉だ」と考えました。

いまの愛知県からは、戦国時代に織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人の天下人を出現させました。徳川家康だけは三河国に生まれましたが、この伝承を知らないはずはありません。そこで家康は、天下人になると同時に、「この伝承を受け継ごう」と考えます。したがって、信長・秀吉・家康の3人の天下人の政治理念の底には、地下水脈としてこの伝承が流れていたと思います。

家康は、「政治の都江戸における拠点とは別に、この伝承を象徴するような城を造りたい。それは尾張国の名古屋だ」と考えたと思うのです。ですから名古屋城は、天下人である家康の名古屋支社として造られたのではなく、「江戸城とは別に、家康のほんとうの理念を象徴する城」として造られた、と考えたいのです。そしてこの家康の理念を具体的に政治行政で示す役割を負ったのが、初代の尾張藩主徳川義直なのです。だからこそ義直は自分が住むようになった名古屋城を"蓬左城〈ほうさじょう〉"と名づけました。

名古屋市内に徳川美術館があります。門を入って本館の右のほうに「蓬左文庫」と名づけられた別棟の建物があります。これは尾張徳川家に伝わってきた古文書その他を保存・展示している資料館です。初夏のころには、本館の前には美しい牡丹〈ぼたん〉や芍薬〈しゃくやく〉の花が咲き乱れます。その花の群れをみながら、蓬左文庫に入って江戸時代のありし日を偲〈しの〉ぶのは非常におもむきがあります。ぼくも何度かたずねました。そして徳川美術館には、ぼくなどからみれば「無尽蔵の宝物」があるように思われます。それは、美術館独自の企画展をおこなっても、収蔵品その他で必ずその企画が成立していることです。その点、江戸(東京)のほうにも資料館がありますが、徳川美術館の収蔵ぶりにはとても及びません。

尾張徳川家には、この義直の理念がずっとつづきます。途中で、宗春〈むねはる〉という藩主が出て、8代将軍徳川吉宗の享保の改革に対抗しますが、これは異例です。尾張藩は、義直以来の、「学問好きで政治理念の実現に熱心な藩主(殿様)」が歴代つづきました。そして、平洲先生を招いた9代目の藩主宗睦〈むねちか〉は、歴代の殿様の中でも際立って学問の好きな人物であり、また同時に王道政治をめざす理想家でもありました。その宗睦が、細井平洲先生のことをきいて、「身近なところにそういう学者先生がおられたのを、いままで大事にしなかったのは不明であった」となかば反省しながらも、急きょ召し出したのです。では、平洲先生は尾張藩の学者となってどんなことをしたのでしょうか? 次回はそんなお話をしたいと思います。

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