平洲塾56「舞阪の笛(上)」

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ページ番号1004648  更新日 2023年2月20日

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舞阪の笛(上)

細井平洲先生が、まだ江戸で塾を開いていたころの話です。そのころ平洲先生は、隅田川〈すみだがわ〉に架かった清洲橋〈きよすばし〉通りに面した東京都台東区浅草橋4、5丁目あたりに住んでおられました。宝暦〈ほうれき〉4年(1754)以来のことだそうです。そして宝暦10(1760)年2月6日に、大変な火事が起こりました。この火事は、6日の午後8時から、神田旅籠町〈かんだはたごちょう〉一丁目の明石屋〈あかしや〉という足袋屋〈たびや〉から火が出て、北西の大風に煽〈あお〉られて佐久間町近辺はもちろんのこと、浅草・両国橋・馬喰〈ばくろう〉町・本町・日本橋・江戸橋・霊岸島〈れいがんじま〉・新川・深川あたりへ火が飛びました。このとき、永代橋も新大橋も焼けて川に落ちてしまったそうです。もちろん平洲先生の家も焼けました。平洲先生の家には、「倫〈りん〉」と名乗る下働きの男がいました。倫は平洲先生のことをよく知っておりますから、「普段から、平洲先生がなにを大切にしていらっしゃるか」ということも頭の中に記憶していました。そこで最初は書物の入った箱をいくつか背負って外に出たのですが、やっと立ち上がれるだけでたちまち倒れてしまいました。そこで倫は、本を減らそうとして、「平洲先生がどうしてもこれだけは残しておきたいと思われる本」を選びはじめました。しかし、悲しいことに倫は平洲先生の考えをそのまま本の選別に応用することができません。そのうちに火がどんどんまわってきます。そこで倫は、「本を選んでいるとすべて焼けてしまう。違うものを持ち出そう」と思って、タンスに目をつけました。しかしタンスそのものも重くて簡単には持ち出せません。そこでタンスの中にある大切なものだけを取り出そうとしました。しかしタンスには錠〈じょう〉が施してあって開きません。金槌〈かなづち〉を探して壊そうとしましたが、その金槌がみつかりません。段々焦〈あせ〉ってきます。煙がかれを包み、火の気もしだいに迫ってきます。倫は焦りました。そこで、「たったひとつだけ、先生にとって大切なものだけ持ち出そう」と考えを変えて、部屋の中をみまわしました。書斎の壁に一本の笛がかけてあるのがみえました。倫は、時折、平洲先生がその笛を吹いている姿を思い起こしました。そこで、「この笛を持ち出そう」と考え、壁から笛を取って火の粉を振り払いながら表にとび出しました。
安全な場所に避難していた平洲先生は、倫が、「先生!」と叫びながら走ってくるのをみると、思わず頬を緩〈ゆる〉めました。
「倫か、無事でよかった。心配したぞ」そういう先生に倫は思わず涙ぐんで、持ってきた笛をさし出しました。
「申し訳ありません。火のまわりが早く、この笛しか持ち出せませんでした」といいますと、先生は笛をさも大切そうに受け取って、いと惜しげに撫〈な〉でました。そして倫をみて、「倫、ありがとう。この笛だけはどうしても焼きたくなかった」といって礼をいいました。倫は首を振って、「笛よりも大切な書物を一冊も持ち出せずに、ほんとうに申し訳ありません」と謝りました。先生は、ニコニコ笑いながら、「倫よ、本はわたしの頭の中に記憶されている。心配しなくてよい。でもこの笛は焼けてしまったら、取り返しがつかないのだよ。ありがとう」といいました。このとき先生が家から持ち出せたのは、茶碗一個と紙の箱だけでした。そして倫が持ち出してきた笛が加わったのです。(つづく)

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