平洲塾20「加藤治右<かとう・じう>の話〉」

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ページ番号1004688  更新日 2023年2月20日

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公〈こう〉と私〈し〉のきびいしケジメ 加藤治右〈かとうじう〉

今回も細井平洲先生の『小語』から引用するお話です。

江戸に、加藤治右〈かとうじう>というお金持ちがいました。でも、治右ははじめから金持ちだったわけではありません。大富豪の伯父〈おじ〉さんがいました。息子がいましたが、身持ちが悪いので怒った伯父さんはその息子を追い出してしまいました。そして真面目〈まじめ〉な治右を養子にして家を継がせました。治右は伯父さんがみこんだとおり真面目に仕事に精を出したので、家の財産は益々増えました。

その年の暮になりました。
追い出された息子はあいかわらず身持ちが悪く、あちこち借金をしているので返金を迫られにっちもさっち(二進三進)もいかなくなりました。ヤクザにも借りていたので、場合によっては殺されます。困った息子はそっと親戚のところにいって借金を申しこみました。しかし、親戚も、貸してくれというお金の額が巨額なので、自分ではどうすることもできません。そこで、治右を呼び出しました。

「追い出された息子が借りた金が返せないで困っている。すこし都合してもらえまいか」
「どのくらいの額ですか」
「五十両だそうだ」
「大金ですね」
そういった治右は、「息子さんにお金を渡すことはできません」ときっぱり断わりました。
親戚はびっくりしました。そして、「もともとは、いまおまえさんが管理している財産は息子のものになるはずだった。それを親父さんがガンコで息子を追い出しおまえさんを養子にしたのだ。息子にすこしくらい分けてやってもいいじゃないか」といいました。

ところが、治右はこう答えました。
「伯父さんがわたしを養子にしたのは、わたしなら家の財産を守り抜くだろうと考えたからです。そうなると、わたしの立場は伯父さんの家の財産を守ることにあるので、一両たりともムダ遣いをすることはゆるされません。まして五十両の大金をそこから出すなどということはとてもできません。いまのわたしはいわば"公の立場"にあるのであって、あなたの申し分は"私"の立場だと思います。公と私はきっちりけじめをつけなければなりません。せっかくですがお断りします」
そういって別れました。
親戚は呆れてしまい、このことを近所に話しました。みんな、「治右はお金の亡者になった。あまりにも薄情すぎる」といって治右を非難しました。

ところが治右は、その後八方手をまわして実子のゆくえを探し、みつかると自分から金を持って出かけていきました。渡したのは五百両の大金でした。
息子はびっくりしました。
「親戚の話では、おまえさんは、わたしに一両の金も出せないと断ったそうだが、これはいったいどうしたわけだ?」と眉を寄せてききました。治右はこういいました。
「わたしがいまお預かりしている財産は伯父さんのもので、わたしのものではありません。ただ、わたしも一所懸命働いて伯父さんが報酬をくださったので、それを倹約して貯めました。五百両になりました。伯父さんの財産は"公"のものであり、この五百両の金はわたしの"私"のものです。ですから、公と私のけじめはきっちりつけますから、私の面においてはあなたに同情します。どうかこのお金でムダ遣いをせずに借金を返し、立ち直ってください。そうすれば伯父さんの心も解け、もう一度あなたが家に戻れる日もくるでしょう。がんばってください」

この言葉に息子はさめざめと泣きました。そして、「知らなかった。おまえさんをいままで恨んできた。でも、おまえさんはほんとうにエライ人だ。約束します。きょうからわたしは心を入れ替え、来年は立派に立ち直ります。もちろん、家に戻ろうなどとは二度と思いません。わたしは失格者です。あの家はおまえさんが守ってください。きょうはほんとうにありがとう。このお金は借りることにします。来年からせっせと働いて、すこしでも返せるように努力します。ありがとう」
息子はもう一度礼をいいました。その顔は涙に濡れていました。

別れ際に治右は息子にいいました。
「きょうのことは、絶対に親戚の人たちには話さないようにしてください。そうでないとわたしも困ります」
治右が困るというのは、五百両もの大金をいつの間にか貯めた治右に、今度は別な方面からの疑いがわくからでした。
〈治右は伯父の家の財産をごまかしてひそかに自分の金を貯めていた〉といわれるからです。
そんなことをいわれたら、せっかく苦労して貯めた五百両の金が生きません。息子のほうも変に思われます。
息子はそのへんの事情を理解し、大きくうなずきました。
「わかりました。絶対にきょうのことは誰にも話しません。治右さん、ほんとうにありがとう」
息子は治右の手をしっかり握って、眼にウソ偽りのない感謝の色を浮かべました。
***
この治右にもうひとつ面白い話があります。

治右の娘が嫁入りをすることになったとき、治右はひどく豪華な衣裳を一枚つくってやりましたが、普段着は与えませんでした。また、コタツの上にかける布団も与えませんでした。
気づいた人が治右にききました。「普段着とコタツにかける布団がないのはどういうわけですか」
治右はこう答えました。「高い衣裳を持っていれば、決して普段着にすることはないでしょう。大切に保存して、自分で木綿の着物を買うはずです。またコタツの上の布団を与えないのは、他人の妻になってぬくぬくとコタツに入っているようではダメです。せっせと働かなければなりません。そのためには、コタツにかける布団はいらないと思うからです」
きいた人は、「なるほど、そういうものですかね」と半分は感心し、半分は(治右さんらしい)と思ったといいます。

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