平洲塾4「学問はこの世の"ちょうちん"だ」
学問はこの世の"ちょうちん"だ
これも『細井平洲先生講釈聞書』のなかにある言葉です。
平洲先生によれば、
- この世を生きるということは闇<やみ>のなかを歩いていくようなもの。
- その闇のなかの道には釘<くぎ>も落ちていれば、馬や犬の糞<ふん>もころがっている。また、道の脇にはドブ(溝)もある。ただ歩いていけば、釘に足を刺され、糞を踏みつけ、ドブにころがり落ちてしまう。
- しかし、もしもちょうちん(提灯)を持っていたらどうだろう? ちょうちんのあかりで足もとを照らしていけば、釘も糞もドブもすべて照らしだされる。それをみて歩くひとは、それらを踏まないように用心する。そのため釘に刺されて痛い思いをすることもなく、糞を踏んで不愉快なきもちになることもない。ドブにハマって「助けてくれ!」と叫ぶ必要もない。
すべてちょうちんのおかげだ。『細井平洲先生講釈聞書<ほそいへいしゅうせんせいこうしゃくききがき>』(皆川英哉著、東海市教育委員会発行)から引用(意訳)した一文です。
こういうわかりやすい例をあげて、平洲先生は、「学問はこの世を渡るちょうちんなのだ」と告げます。
しかし、学問の幅は広く、奥行きも底知れぬほど深いものですし、万巻の書もあります。ふつうの人間がそんなにたくさんの書物は読みきれません。また、毎日のくらしにいそがしいひとにそんなヒマもありません。
そこで学者が人びとに代わってたくさんの本をよみ、そのなかから、「これは世を渡るひとのちょうちんになる」とえらび出した言葉や事例が「講釈」なのだと告げます。
いきおい、平洲先生は、その講釈にもくふう(工夫)をこらし、なによりも、「むずかしいことをやさしく伝える」ことに努力します。平洲先生からみれば、そのころの学者の多くは、「やさしいことをワザワザむずかしくしている」と思えたのです。
現在の世の中もおなじ。ワケのわからないちょうちんが多すぎて、結局、世の中は闇になっています。平洲先生のいう"寔<まこと=誠>"の光がほしいものです。
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