平洲塾9「倹約とは、ひろがった心を縮めることです」

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ページ番号1004699  更新日 2023年2月20日

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倹約とは、ひろがった心を縮めることです。

「すべて倹約するということも、わが心のパッと取りひろげ取り乱したる心を取りちぢめ、物をつづまやかに(質素に)すること、よって倹約の倹〈けん〉の字は、奢(おご)りを去って約(やく)に従うこれを倹という」

今月も、『細井先生講釈聞書』からの引用です。
元禄時代の大坂(阪)の商人作家・井原西鶴〈いはらさいかく〉は、「倹約とケチはちがいますよ」といいました。両方ともまず節約をすることはおなじですが、節約して余らせた分をどう使うかで、このふたつはわかれるのだそうです。

  • 倹約・・・他人のため、世の中のために使う。
  • ケチ・・・自分のために使う。

ナルホドと思います。ところが、細井平洲先生はこれをモノやおカネの次元から"心"の次元にまでひろげて考えるのです。それを"取りひろげた心・取り乱した心"と表現します。これは「自制心を失なった心の状態」といっていいでしょうね。自制心を失なうと人間は、自分に対してひどく寛大になります。ですから自分の思うようにふるまい、ワガママになります。他人のことなんか考えません。"地球は自分のためにまわっている"と考えるのです。自分のいったことばやおこないが、どれほど他人をきずつけているか、まったく反省しません。つまり、「相手の立場に立って考える」ということを思いつかないのです。

イジメもおなじですよね。「自分がイジメられる立場に立ったら?」と思うだけで、ほかの子をイジメることなどできませんよね。平洲先生はこういうらんぼうな精神状態を鎮〈しず〉めるために、"心の倹約"ということばを使います。まったくフレッシュで独創的なことばです。『講釈聞書』はいくら汲んでもつきない"考え方の泉"です。みなさんもご自身でご活用下さい。わからないことは平洲記念館の立松彰館長におききください。やさしく温かく教えてくれます。

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