平洲塾34「木村蓬莱<きむら・ほうらい>のお話」

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ページ番号1004671  更新日 2023年2月20日

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"なにを"いっているのかだけでなく、"だれが"いっているのかも 木村蓬莱<きむら・ほうらい>のお話

他人に自分の考えていることをわかってもらうということはなかなか難しいものです。このホームページでも何度か細井平洲先生の例をとりながら、"なにを"という内容を、"いかに"伝えるかという話法のことにも触れました。今回のお話は、単なる技術ではなく、きく側の話し手に対する根本的な姿勢に関する話です。
もともと日本人には、"なにを"よりも"だれが"といういい手に対する先入観や固定観念が大きく支配します。たとえば話し手に対してきき手が好きか嫌いか、ということも大きく影響します。きき手が話し手に対して悪感情を持っていたら、どんなにいいことをいってもきちんときこうとはしません。
(こんな嫌いなやつの話すことに、ろくな話はない)とはじめから拒否反応を示します。そういう拒否反応をどうして砕〈くだ〉き、和〈やわ〉らげていくか、これも話し手側の大きな努力目標なのです。
細井平洲先生の友人学者に木村貞貫〈きむら・ていかん〉という人がいました。尾張〈おわり〉(愛知県)の生まれなので、号〈ごう〉を蓬莱〈ほうらい〉と称していました。
このホームページをお読みいただける方に改めて申し上げておきたいのですが、尾張国には古代から"あゆち"という伝承がありました。あゆちというのは、

  • 尾張国は日本の中央部にある。しかも四つ辻に当たっている。・そこで、この地方には古くから「幸福の風」=「あゆちの風」が吹き寄せる。
  • だから尾張国は日本国におけるユートピア(蓬莱国)なのだ。
  • その考えを象徴的にあらわしているのが熱田神宮〈あつたじんぐう〉だ。そのため熱田神宮を別名"蓬莱宮〈ほうらいぐう〉"という。

という伝承です。現在の愛知県という県名の由来もこの"あゆち"からです。
現在、名古屋市内にある徳川美術館の門を入ってすぐ右側に「蓬左文庫〈ほうさぶんこ〉」というのがあります。これは尾張藩初代の藩主であった徳川義直〈とくがわ・よしなお〉(家康の9男)が、非常に政治熱心であゆち思想を知っていました。ですから義直は、《自分が藩主になった以上、父家康公のおきもちを受け継いで、尾張国を蓬莱国(ユートピア)にしたい》と考えました。そのため自分の拠点である名古屋城を"蓬左城〈ほうさじょう〉"と名づけました。蓬左城というのは「蓬莱宮の左側にある城」という意味です。
なにがいいたいかといえば、尾張藩徳川家には当初からユートピア思想があったということです。義直はほろびた隣国の明〈みん〉からもすぐれた学者や技術者を招きました。そして学問の指導者にしました。また、特産として現在も残る"外郎〈ういろう〉"というお菓子も、明から伝えられたものです。義直はほろびた隣国の文化人たちを決して蔑〈さげす〉むことはなく、むしろ「先進文化の教え手」として尊敬していたのです。
尾張国にはこういう伝統がありました。細井平洲先生たちが活躍していたときも、かなりこの義直以来のいわば"尾張精神"がみなぎっていたと思います。
「蓬左文庫」は、尾張徳川家の古文書をそのまま保存展示しているものです。きちんと読めませんが、ぼくもたびたびお邪魔しては勉強しています。ぼくは根っからの江戸生まれの江戸育ちで、家も古いのですが、文化ということに関しては徳川美術館をたずねるたびに、「とても江戸は名古屋にかなわない」と率直に感じます。

***

話を戻します。木村貞貫が蓬莱と号していたのはそういう理由によるものですが、蓬莱は京都に出て塾を開いていました。たまたま京都にきた安房〈あわ〉(千葉県)勝山城主の酒井忠篤〈さかい・ただあつ〉という殿様が、蓬莱の学問に感動しました。
そこで、「わしのところにきて、わしや家臣の学問の指導をしてもらいたい」と頼みました。熱心な酒井の殿様の懇望〈こんぼう〉に蓬莱は承知し、勝山藩の学問指導者としてつとめました。やがて殿様の忠篤が亡くなりました。このとき蓬莱は、「殿様がお亡くなりになったのだから、お暇〈いとま〉しよう」と考えて荷物をまとめ辞職願を出しました。家老が考えこみました。家老が考えたのは、

  • 後をお継ぎになった忠大〈ただもと〉様は非常にやる気のある若殿様だがなんといっても気ばかり焦〈あせ〉って学問がうすい。
  • そのために、せっかく先代がお固めになった藩政の基礎が崩れる恐れがある。
  • 忠大様にきちんとした藩政をおこなっていただくためには、やはり学問の修行が大事だ。それには木村蓬莱先生の指導が必要だ。

と考えました。このことを蓬莱に話ました。蓬莱はちょっとためらいましたが、「お引き受けしましょう」と承知しました。(次回につづく)

本のご紹介

細井平洲「小語(しょうご)」注釈
平成7年発行 A5判 345頁 1冊 1,120円(別途送料1冊 350円 650g)
「小語」とは、細井平洲自身が見聞きした君主から名もない人物まで、70人余の逸話が漢文で書きとめられた書物。小野重伃(おのしげよ)氏の研究により完成した、平洲研究の原典となる注釈本。

写真:細井平洲「小語」注釈本

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