平洲塾23「親孝行な枯木」

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ページ番号1004684  更新日 2023年2月20日

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親孝行な枯木

細井平洲先生は身体がちょっと弱かったようです。ご自身の書いたものによれば「足痛があった」といわれています。これはその足痛にかかわりを持つ話です。例によって『小語』が出典です。そしてこれも例によって潤色(アダプテーション・ぼく流の解釈)をしてあります。

あるとき、平洲先生は足痛の療養のために箱根の湯治場(温泉)にいきました。ここの湯が足痛に効〈き〉くからです。何日か湯に浸〈ひた〉っているうちに足の痛みがすこし和らいできました。
平洲先生はよろこびました。そこで、「きょうはひとつ、山歩きをしよう」と思い立ちました。
宿の外に出て歩きはじめようとしますと、やはりちょっとした痛みが足に残っていました。そこで平洲先生は、「杖がいるな」と思いました。
宿の敷地内に、一本の枯木が立っていました。平洲先生は、(枯れた木なら杖にしてもよかろう)と思って、宿の者を呼びました。

ひとりの少年が走ってきました。平洲先生はその少年にいいました。
「この木を切ってくれないか」
いわれた少年はびっくりして平洲にきき返しました。
「なぜですか?」
「おまえのところの湯で持病の足痛がかなり治った。山歩きをしたい。しかしまだ杖がいる。この木がちょうどいいのだ。切って杖にしてくれ」
すると少年は顔色を変えてこういいました。
「お断りします」
「えっ!?」
平洲先生はびっくりしました。
「なぜ、ダメなのだ?」
少年は答えました。
「この木は父が大切にしていた親孝行の木だからです」
「親孝行の木?」

妙ないい方なので平洲先生は眉〈まゆ〉を寄せました。
「この枯木が親孝行な木というのはどういうわけだ?」
とききました。少年は、「わたしはこの店の相続人です。この間、父が亡くなりましたので、店を継ぎました。でも、この木だけは切るわけにはまいりません。先生は宿にとって大切なお客様ですが、この木を切ることだけはどうかおゆるしください」
「だから、なぜこの枯木が切れないのかわけをきいているのだよ」
平洲先生は少年を諭〈さと〉すようにいいました。
少年は語りはじめました。話をきいて平洲先生は、少年がなぜこの枯木を「親孝行の木」ということがわかりました。
少年の話は次のようなことです。
***

  • この木は楓〈かえで〉の木で、毎年毎年秋になると美しく紅葉する。
  • 死んだ父は、この楓の木を愛し、とくに秋の紅葉をみては眼を細めていた。
  • 紅葉はやがて散る。そんなときに父は少年にこう語った。
    「紅葉の葉は散って幹の足下の土に溶ける。溶けて肥料となる。そして、親だった幹の滋養分になる。だから、毎年、生まれる子どもである葉は、実に親孝行なのだよ。わたしはそのことを考えると、幹の身になって涙が出てくる。毎年、生まれては散って、親のための肥料になる子どもである葉のきもちがヒシヒシと伝わってくるからだ。そういう思いをすると、おまえがいかにわたしに対して親孝行なのかがわかる。いつもありがたいと思っているよ」
  • 少年は父の話に感動しました。とくに「子どもである葉が毎年散って、親を育てている」という父の受けとめ方が、なんともいえなかったからです。
  • 少年は父の話をきくたびに、(わたしも親にできるだけ孝行をしよう)と思い立った。
    「でも、わたしはこの紅葉の葉のように親に孝行することができませんでした。ついこの間までは、町へ出てはお酒を飲んだり、博打〈ばくち〉をしたりする親不幸者だったのです。父が死んだときに戻ってきて、親不孝を詫〈わ〉びました。でも、もう取り返しはつきません。わたしは生涯親不孝者の償〈つぐな〉いをしなければなりません。そのひとつとして、せめてこの木を大事にしたいのです。きっとわたしが親不孝だったために、この木も愛想をつかして枯れてしまったのにちがいありません。でも枯れてもわたしにはこの木をみるたびに、父の言葉がよみがえります。先生、そういうわけですから、どうかこの木を切って杖にすることだけはおゆるしください。杖は別に用意いたしますから」

***
「………」
平洲先生はもう何もいえませんでした。
そこで少年の肩にそっと手を当てこういいました。
「感動したよ。わたしが悪かった。しかしあなたのお父さんはエライね。たしかに、毎年生まれてはその年に死んで、親を養う葉の親孝行ぶりは、いわれてみればそのとおりだ。きょうは、よい勉強をしたよ。どうもありがとう」
平洲先生はそういって、少年が用意してくれた杖を片手に、山を登りはじめました。
そして歩いている間中、少年の言葉を頭の中で思い起しました。紅葉の葉は、毎年生まれては必ず散る。散るということは死ぬことです。つまり、紅葉する葉は自分の身を捨てて親を養っているということなのです。
(いままでわたしはそういうことに気がつかなかった。あの少年の父親はエライ)
そう思うと、理由を知らずに、枯木だからといって、いきなり杖にしようとした自分の浅はかな心が悔やまれるのでした。
山を歩く間中、平洲先生はそう考えつづけました。

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