平洲塾32「ぼけ病の祖母につくす」

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ページ番号1004674  更新日 2023年2月20日

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ぼけ病の祖母につくす

細井平洲先生が江戸で塾を開いているときに、門人に佐伯孝思〈さえき・こうし〉という男がいました。筑後柳川〈ちくごやながわ〉(福岡県柳川市)の藩主立花家に出入りしている屋根職人でした。江戸時代は身分制がきびしく、原則として農工商三民は姓を名のることがゆるされません。にもかかわらず、孝思が佐伯という姓を持っていたのは、おそらく出入りする立花家のほうで「おまえは姓を名のってもよい」と許可されたのでしょう。
この孝思は大変な祖母孝行の人物でした。親が早く亡くなり、子どものときは祖母が可愛がってくれたので、孝思は「親がいない自分は、おばあちゃんに親とおなじような孝行をつくしたい」と考えていました。
この祖母が八十歳になったときぼけ病に罹〈かか〉りました。いままでいろいろとつき合いの深かった人をみても、それが誰だかわからなくなりました。
「おばあちゃん、元気?」と声をかけられても、相手の顔をキョトンとみて、「あなたは、どなたでしたっけ?」ときき返す始末です。相手の人は、「いやだねおばあちゃん、お隣のダレダレだよ」といいますが、おばあちゃんのほうはわかりません。それだけ頭が弱ってしまったのです。
そんな祖母を孝思はまめまめしく面倒をみました。祖母のほうも孝思がいないと騒ぎます。そして、「孝思や、孝思や、どこへいったの? 早くわたしのそばにきておくれ」と大きな声で叫びます。孝思が仕事中のときにも祖母がそういう声を立てるので、近所の人が急いで工事現場に駈けつけます。そして、「孝思さん、おばあさんがあなたを呼んでいるよ。ほかの人ではいうことをきかないので、すぐ帰っておくれ」といいます。
孝思はほんとうなら仕事をつづけたいのですが、祖母のいうことならやむをえません。急いで帰ります。そして、「おばあちゃん、孝思が帰ったよ」と告げます。ところが、おばあちゃんはキョトンとしています。そして、「おまえさん、いったい誰だね? わたしは孝思にきてほしいんだよ」といいます。孝思は、「おばあちゃん、わたしが孝思だよ。孝思が戻ってきたんだよ」といいますが、祖母のほうは首を横に振って認めません。
「あんた、知らない人なのに、なぜ孝思などとウソをつくんだね? わたしが帰って欲しいのは孝思だよ。おまえさんは孝思じゃないよ。あっちへおいき」と冷たいまなざしを向けます。まわりにいた人も、「おばあちゃん、何をいっているんだい。この人が孝思だよ。おばあちゃん孝行の孝思さんだよ」といいますが祖母は認めません。
孝思は悲しくなります。しかし、そんな祖母に対しても決して孝心を失うことはありませんでした。ウトウトする祖母を背負って、子守唄を歌ったり、身体をゆすったりします。祖母はやがて静かに寝ます。居間に寝かしてその顔をみながら孝思はしみじみとつぶやきます。
「おばあちゃん、ひどいよ。わたしが孝思なのに、なぜ知らない人間だなんていうんだい。時々、面倒をみるのがイヤになるよ。おばあちゃん、早くよくなってわたしを思い出しておくれよ」切々と訴えます。
しかし、祖母は、そんな孝思の悲しいきもちを察することなく、やがて死にました。孝思は淋しい思いを抱いたまま、祖母をあの世へ送りました。近所の人びとは、「孝思さんはほんとうに気の毒だね。でもあんなおばあちゃん孝行な人間はいないよ。みんな見習わなくちゃね」と語り合うのでした。平洲先生は、自分の門人の中にこういう祖母孝行の孝思がいたことを、いつも誇りに思いました。

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