平洲塾33-1「高山彦九郎(たかやま・ひこくろう)の話」

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ページ番号1004673  更新日 2023年2月20日

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高山彦九郎〈たかやま・ひこくろう〉の話

細井平洲先生(1728~1801)には、身分や職業に関係なくたくさんの門人がいました。変わった人もいます。そのひとりに高山彦九郎(たかやま・ひこくろう。1743~93)がいます。この人は、"寛政〈かんせい〉の三奇人〈さんきじん〉"といわれた3人のうちのひとりです。寛政時代(江戸時代後期。1789~1800)の3人の変わった人という意味で、ほかのふたりは林子平(はやし・しへい。学者。1738~93)と蒲生君平(がもう・くんぺい。思想家。1768~1813)です。

林子平は鎖国下の日本の国防問題を論じ、「ロンドンのテムズ川の水も江戸の隅田川につながっている(水の道をたどってくれば、外国はいつでも日本を侵略できるという意味)」と警告しました。
蒲生君平は京都にある足利尊氏(あしかが・たかうじ)の墓を、「この逆賊(天皇に対する不忠者)め!」といって杖でたたきました。

高山彦九郎も南朝の支持者ですが、日本中を歩きまわって、"よいことをしている日本人"をさがし出し、メモにくわしくそのことを書きました。

生まれたのは上野国(こうづけのくに。群馬県)ですが、江戸で平洲先生の門人になりました。お父さんを他人にころされ、かたきうちを思いたちました。このことを平洲先生に話そうと思いましたが、このころ平洲先生は、上杉鷹山(うえすぎ・ようざん。米沢藩主。1751~1822)にたのまれて米沢にいました。彦九郎は米沢にいって平洲先生をたずね、「父のかたきうちをします」と告げました。
いつもおだやかな平洲先生が、このときは真っ赤になって怒りました。
「おまえのようなバカ者は破門(はもん。門人の資格をうばう)する、帰れ!」としかりつけました。彦九郎はビックリし、「私のどこがバカなのですか」とききかえしました。平洲先生は、「たとえ父の仇(かたき)だろうと、人の命をうばおうというきもちがバカなのだ。そういうちいさなことにこだわらず、学問でこの国のためにつくそう、という志をなぜもたないのだ!」とさとしました。

彦九郎は考えこみました。やがて、「先生のおっしゃるとおりです。私がまちがっていました。きもちを改めます」とあやまりました。

しかし、つよい尊王(天皇を敬う)思想をもっていたため、のちに九州で自殺します。

この高山彦九郎がしらべた"よいことをしている日本人"の話を、平洲先生は『小語〈しょうご〉』のなかにいくつか書きとめています。機会があったらご紹介します。

つまり平洲先生は、"自分がみたりきいたりした話"だけでなく、"他人からきいた話"もたくさん『小語』に書きとめているのです。平洲先生の心のひろさと、「よいことは他人からきいたことでも伝えよ」という積極的な人間愛を感じます。

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