平洲塾33-2「高山彦九郎(たかやま・ひこくろう)の話(つづき)」

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ページ番号1004672  更新日 2023年2月20日

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だまされるのは信頼の不足 高山彦九郎の話・つづき

"寛政〈かんせい〉の三奇人〈さんきじん〉"のひとり高山彦九郎〈たかやまひこくろう〉は江戸時代から細井平洲先生の門人でした。かれはこんな経験をしています。江戸の牛込御門〈うしごめごもん〉近くでわび住まいをしていたころの話です。

彦九郎自身は決してゆたかではありません。が、その思想や学説を慕ってたずねてくる若者も多かった。ある日やってきた若者がこんなことをいいました。

「わたくしは先生からいろいろお教えを乞〈こ〉いたいのですが、貧しくてお礼をさし上げることができません。無理なお願いを申し上げて恐縮ですが、先生のおそばに住まわせていただけませんでしょうか。お身のまわりの世話をして労賃〈ろうちん〉をいただかないかわりに、わたくしの労働を先生からの教えのお礼にさせていただきたいのですが」

そういいながら本人はしきりに虫のいいお願いで申し訳ありませんと謝まりました。彦九郎は微笑〈ほほえ〉みました。かれはこういう話が好きです。そこで、「わかった、きょうからわたしの家に住め。食べるものはわたしと一緒だ。しかし大したものは出せないぞ。それを承知ならここで一緒に学ぼう」といいました。

実をいえば高山彦九郎はこういう人間が大好きなのです。そして細井平洲も好きでした。高山彦九郎のこういう度量の大きさを平洲は愛していました。だから彦九郎が世間で"奇人"といわれても平洲先生はニコニコ笑いながら、「高山さんは奇人ではない。魂が純粋すぎるのだ。あの人のよさは魂の汚〈けが〉れた人にはわからない」とかばっていました。
住みこみになった門人はまめまめしく働きました。そして彦九郎が昼間通ってくる門人たちに講義をしていると、庭先を箒〈ほうき〉で掃〈は〉きながら耳だけはじっと高山彦九郎の講義の声に集中させていました。耳学問です。彦九郎はそんな門人をみると、時折、「おい、庭の掃除はやめていい。縁側〈えんがわ〉に座って一緒にききなさい。そして何か意見があったら遠慮なくいいなさい」といいました。

こういう講義方法も細井平洲先生の大好きなやり方です。平洲先生もおなじようなことをしていたからです。
何ヶ月か経ちました。彦九郎は完全にその門人を信用しました。あるとき、彦九郎の故郷である上野国〈こうづけのくに〉(群馬県)から急な使いがきて、彦九郎の両親が病気になったと告げました。彦九郎は急いで故郷に帰ることになりました。そのとき住みこみの門人に、「留守を頼む。様子をみて安心できるようなら戻ってくるから」といいおきました。門人は、「かしこまりました。どうぞ留守のことは心配なさらないでお出かけください。ご両親をお大事に」といいました。その態度が神妙なので彦九郎は信じました。そして故郷へ旅立っていきました。幸い両親の病気は大したことありませんでした。両親にすれば、「息子の彦九郎は旅ばかりしている。たまには家に戻ってきて顔をみせて欲しい」と願っていたのでした。したがって使いの者が病気だといった言葉には多少の誇張がありました。彦九郎は安心しました。使いの者に、「ウソをついたのか」などと怒りはしませんでした。彦九郎も先天的に、《人間の性は善である》と信じていました。どんな悪人にも必ず善の心があります。ただその人間のおかれている状況や条件によって善の心が思い切って出せないだけなのです、と思っていました。

したがって彦九郎は、《誰もが、持っている善の心を表に出せるような社会をつくらなければならない》と考えていました。いってみれば、人間の世の中を理想郷にしようという志に燃えていたのでした。

そう考えると、いま徳川幕府のやっていることでたくさん気に入らないことがありました。彦九郎は、《京都の天皇を中心に、もう一度政治体制を組み直すべきだ》という社会変革を考えていました。というのは、この国に長くつづいてきている天皇やその家臣である公家たちが、ひどい貧乏生活に追いこまれていたからです。
《それもこれも徳川幕府のせいだ。徳川家とこれに従う大名は不忠の臣だ》と思っていました。だから彦九郎は全国を歩きまわって、よいことをしている人びとを捜してはメモをとっているのは、実をいえば、《本来は、徳川幕府や大名がやらなければならないことを、自分が代わってやっているのだ》という自負心がありました。

故郷で両親の病気が大したことではなかったので、彦九郎はやがて江戸に戻ってきました。ところが牛込御門近くの家に戻ってびっくりしました。家財道具がそっくりなくなっていたからです。誰もいません。もちろん信頼した門人も消えていました。様子をみにきた近所の人が眼をむきました。そしてことの次第を知りました。
「呆〈あき〉れたやつですね、あの門人は。高山先生が信頼しすぎたからですよ」そういいました。彦九郎は苦笑して首を横に振りました。こう応じました。
「いや、信頼心が足りなかったのでしょうね。完全に信頼していれば、あの男もわたしを信頼してくれたはずです。わたしの心の一部にどこかあの男に対する疑いの心があったのです。それをかれはみぬいたのでしょう。そこで、自分を完全に信頼してくれないのなら去るべきだと考えたのだと思います」
「高山先生、それはずいぶん人のいい考えですよ。あの男は恩を仇〈あだ〉で返し、後足で砂をぶっかけて逃げる犬ですね。いや、犬以下かもしれません。高山先生がこんなりっぱで決してウソをつかないお人なのに」
そういいました。しかし彦九郎は自分がいま口にした言葉を本心だと思っています。
〈もっとあいつを信じてやるべきだった。どこか自分の心の一部に疑いのきもちがあった。それをかれは敏感にみぬいた。かれはわたしを見捨てたのだ〉

彦九郎はこの経験を師の細井平洲先生に話しました。細井先生は笑いました。そして、「あなたらしいね」といいました。そして高山彦九郎の肩を叩いて、「しかし、人間は人をだますよりだまされたほうがきもちがいい。どうです? あなたも家財道具を全部持ち去られてきもちがいいでしょう?」とからかいました。彦九郎は苦笑しました。

この話は細井平洲先生の『小語』にあります。が、例によってぼくの判断で多少脚色してあります。

本のご紹介

細井平洲「小語(しょうご)」注釈
平成7年発行 A5判 345頁 1冊 1,120円(別途送料1冊 350円 650g)
「小語」とは、細井平洲自身が見聞きした君主から名もない人物まで、70人余の逸話が漢文で書きとめられた書物。小野重伃(おのしげよ)氏の研究により完成した、平洲研究の原典となる注釈本。

写真:細井平洲「小語」注釈本

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