平洲塾24「都会生活は孝行に不安」

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ページ番号1004683  更新日 2023年2月20日

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都会生活は孝行に不安 使用人・久六の思い

細井平洲先生が米沢にいたとき、久六という小者(家事使用人)を雇いました。陰日向<かげひなた>なく働き、正直なので、平洲先生は久六を愛しました。
先生はやがて、江戸でくらすことになりました。このとき、久六を連れていきました。久六は、江戸でもまめまめしく仕えました。

ところが、一年ばかり経つと、久六は先生に言いました。
「故郷に帰してください」
「故郷はどこだね、米沢か?」
「いいえ、越後(新潟県)の片田舎です」
「なぜ急に、越後に帰りたくなったのだね」
先生から見て、久六は毎日の生活を楽しみ、江戸にも馴染んで、生き生きとしていると思っていましたから、ちょっと不思議だったのです。
それと、もうひとつ、先生は江戸にきてから久六をかなりこき使っていました。そのためかも知れないと思いました。

そこで、久六に聞きました。
「わたしの使いがすこし荒すぎるかね」
「ちがいます。先生のお仕事なら、わたしはどんなに忙しくてもよろこんでいたします。そうではなく、故郷の母が心配なのです」
「おや、お母さんがいたのかね」
「はい。かなりの年になりました。それに、いまのわたくしの生活は、気候は温暖で過ごしやすく、また、食べ物や飲み物もゆたかでおいしゅうございます。ですから、どんなに朝から晩まで忙しく働いても、身体は決して疲れません」
「それなら、何も文句はないじゃないか。おまえにとってくらしやすいのなら、もうすこし、わたしを手伝ってもらえまいか」
「いえ、何の不足もないからこそ、故郷へ帰りたいのです」
「妙なことをいうね。どういうことだ?」
先生は、理解できなくて久六にききました。

久六は、こういいました。
「なに不自由のない江戸の生活に慣れてしまうと、故郷のつらかったくらしを忘れそうになるからです。わたしは、もともと浜辺で育った漁師です。毎日、海の中でつらい仕事に従事し、着物はボロボロのように着古したもので、食べるものも、米は少なく、豆や麦でした。いまの江戸の生活に慣れてしまうと、やがては、家に帰りたくなくなる気がします。それは危険です。年を取った母親の面倒をみるときにも、いまの江戸の生活が身に染みついてしまうと、いろいろと不都合を生ずると思います。越後のあのつらい生活をこの身体がおぼえているうちに戻れば、母親にも、わたしなりの孝行ができると思います」

平洲先生は、言葉を失いました。まじまじと久六の顔を見ました。
久六は、つぶらな瞳で、まじまじと平洲先生をみかえしました。久六の瞳の底には真実がみなぎっていました。
先生はうなづきました。
「わかった。では、越後に帰りなさい。ほんとうにおまえさんはよく尽くしてくれた。礼をいいます」
そういって平洲先生は、久六に、「お母さんへの土産代だ」といって、十分な給金を与えました。久六はよろこんで帰っていきました。

そのうしろ姿をみおくりながら、平洲先生は、《都会生活に慣れてしまうと、故郷の貧しいくらしに戻ったときに十分な親孝行ができなくなる》といった久六の言葉を、頭の中で何度も繰り返しました。

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